分岐点
こんにちは。年末に更新してから思っていたよりバタバタな二ヶ月がすぎました。インスタもTwitterも連日のように投稿していましたが、今はわけあってゆるーく投稿しています。今日はひとつ、これまでの区切りがついて、この二か月のことをふんわり思い返しているところです。
何から書いたら的確な表現になるかもわからないまま書き出していますが、このままゆるく書いてみようかなと思います。
二か月前、仕事を辞めて制作を楽しんでいたのも束の間。その二週間後にはあっという間に生活のリズムが作れず、そのままメンタルを崩してしまい、あの手この手でもがきましたが全然回復ができず、連日落ち込みと異常な眠気をさぁどうしたものか…と頭を悩ませていました。相変わらずチキンです。はい。あの意気込みどこいった。
そんな絶妙なタイミングで、友人からのおススメである学校で短期の勉強をするといいと言われ、自信のなさで却下寸前だったのですが、なんのご縁か入校前の面接が通過してしまい、あっという間に手続きやら何やら、そして入学式と授業初日となりました。
その授業の一部がパソコンの色々なソフトの勉強です。初日の予想はもう当たりもいいところで、授業の難しさ、学習のスピードの遅さにもう心が折れていました。とりあえず明日は行こう、3日は頑張ってみよう、もう一週間頑張ってみよう、そんな感じで今日まで過ごしました。
今は一転、楽しく授業を受けることができています。毎日のように限られた時間で居残りをしたり復習したりと、全く違う生活となってしまいましたが、ほかの生徒さんと授業の内容や世間話ができることで、驚くほど視野が広がりました。
授業、人間関係、これまでの自分が向き合ってきた世界観、そして後悔してきた出来事。
一つ一つがきちんと噛み合い、つながり、縫い目ができ自分の弱かった部分を塞いできてくれています。こんな実感は人生で初めてです。
本来ならまず、きちんと授業の成績を上げて結果を出すことが一番なのですが、それ以前に今、自分がここに来れたことに喜びを感じています。
ずっとアナログでしか絵を描けないことや、独学でソフトを勉強してもずっとつまづいてきたので、やりたいソフトに直結した勉強ではなくても、学びながら新しい自分を発見できたことに感謝しています。
アナログでどんなに良いものが描けても、じゃあ今度はどこにそれをアピールするの?自分をプロデュースするの?どうセールしていくの?…
ずっとぐるぐるしていた疑問にも光が見えてきました。
まぁ現段階では、勉強しても使いこなせるかは別問題なのですが…(汗)
今はとにかく、最後までこの授業にしっかり取り組みたいです。
今はお休みしているオオスカシバさん…
もう少し待っててね(´・_・`)
真面目だね、ストイックだね、そんなことをたまに言われたりしたのですが
なんてことのない、ただ苦しいことからずっと逃げてきていただけでした。
私にとっての一番苦しかったこと、それは「学校」でした。
学びが遅く、友達も作れず、先生ともうまく渡り合えずに全ての世界を拒絶しました。
その時の自分に大丈夫だよ、やり直せるよ、今ならそう言える私がいます。
それだけ大きな出来事です。
そんな気持ちも、いつか作品に込められたらいいなぁ。どんなことも楽しめたら幸せです。
とっても長くなりました。
とても拙い言葉ですが、ここまで読んでくださった方、ありがとうごさいます。
明日からまた頑張ります。
12月になりました。
前回の途中だったミヤマカラスアゲハさん。
完成しました。
タイトル: 「旅立ち」
サイズ:B4
アクリルガッシュ、リキテックス、カラーシャーペン
満開の桜に見守られながら成虫となったカラスアゲハが大空に飛び立つイメージを、花びらの透明感やアゲハの羽の色の深みにこだわりながら描きました。
(*TwitterでA4サイズと書きましたが、正しくはB4でした)
光に当たると桜が偶然にもキラキラします。これはちょっと嬉しい。
それには自然光で展示できたらいいのですが難しいかな…( ˊᵕˋ ;)
たくさんの桜に筆を入れるのはなかなかでした。
でも諦めずにやれて良かったなと今は思います。
突然ですが…
前にもここで書きましたが、今月半ばで退職します。
また?という感じですが…今回は特に、本当に沢山旦那さんとも何度も話し合って。
どれくらい続けられるかわかりませんが、しばらく制作に専念します。
ずっと次の仕事を見つけてから辞めていたので、先が決まってない中の生活が未知数。
時々バグって不安量産人間になります。
その一方でやりたいことが山積みで、時間がいくらあっても足りないほどです。
そんな経験も初めて。
一年前のある日、頭にぽんっと浮かんだ桜とミヤマカラスアゲハさん。
一年間の間に沢山の形に変わっていきながら育ってくれました。
その作品の一部で、今年は賞を頂くことができ、身にあまる光栄でした。
作品のレイアウトも良くなった、線が柔らかくなった、可愛い作品ができたね、など
昨年とは違うお言葉を直に受け取ることもできました。幸せです。
もう逃げて甘えていた自分には戻れないのだなと思います。それは全てにおいて。
人生がいかに有限であるかを実感してる今、本当に何をしていくかが大切なんだな、と。
まずは沢山の作品をつくること。
(絶賛寄り道制作中のためローペース作業になっています)
そして展示活動を目指すこと。
そんな2023年にしていけますように。
取り止めのない話
ミヤマカラスアゲハさん、引きつづき加筆しています。
え?まだ終わらないの?本気?
って思っている方、絶対いると思います…特にTwitterのほうで…
描くの遅すぎ案件、何しろ本人が一番泡吹きそうです。
これとりかかってるの夏前やで…
そりゃ他の作品も作ってますけども。
ですがもうすぐ完成なんです。ほんとなんです!←
ここまできたら完成も大して変わりゃしないんじゃとか思いますけど完成はさせます!←
はい。今日はちょっと、ここから…脈絡ない話をしなくなりました。
長いので疲れてしまいそうな方はリターンをおススメします…。
春からカウンセリングをちょこちょこしてますが、今月に入ってどーーーんとメンタル落ちてます。波は今までもありましたが、結構な深い谷で…
昨日は腹痛と久しぶりにメニエールさんまで荒ぶってました。ひん…(泣)
きっかけは、職場の人の心無い言葉だったり。
それについてはちゃんと、ご本人に直接注意させてもらって、話し合いはできてます。大人なのでね…
大人じゃないのは私のここからです。
なにが悪かったかって、その人の言葉は難聴が悪化した自分を茶化す内容だったんですね…
本人は会話の一部くらいに思ってたみたいなのと、私もそれは察してたので、メンタルが不調期じゃなければこんなにガタガタにもならなかったかと思うんです。多分。
でもこれが、自分から見たらタチ悪かったんです。
耳が原因で周りとコミュニケーションが取れなかったこと、それがきっかけで、子供の頃にそれはそれなりのイジメにあいまして。
記名済の返却プリントが自分だけ配布されなくて、探し回ったらゴミ箱に捨てられてたとか、朝学校きたら机と椅子を教室からベランダにぶん投げられてたとか…
先生に「お前にも原因があるんだから、お前が我慢すればすむ」って言われたりとか。
(ちなみにSNS絡みの時代ではありませんでした)
親身になってくれた友達や先生もいました。
ただ、そういう人は近くにいなくて、自分が頻繁に足を運んで通わないと会えないところにいたりとか。
なによりも、難聴に関しては
鼓膜の手術をしたあと、ぽつりと
「気づかなくてごめんね。そんなふうに育ててたなんて思わなくて…」と言った母の言葉が忘れられず。
アラフォーに向けてまっしぐらな年齢になっても消えないんです。
特に母は、どんな気持ちだったかなぁ…とか。
それがさらに尾ヒレついて言葉にならない感情になったり。
私にそうした人たちは。
もう当然大人になり、小学生くらいの子供がいて、彼らの子供が絵画や書道で賞を取って飾られて、なんて場面も見たりしました。
あの時に自分がしたことなんて忘れてるんだろうな…という気持ちです。
少し前から、どうして自分の幼少の頃に同じ年の子供とうまくやりとり出来なかったのかと考えることが増えています。
両親も私には、大学までいって適齢期で結婚して、子供を産むという女性らしくもある人生が送れるようにと望んでいました。
でもそれができなかったのは何でかな、と…。
いじめを通り過ぎてからは
両親にこれ以上負担をかけたくなかったこともあり、周りに溶け込もうとしました。人と距離が縮まらなくていいから、とにかく周りと同じことをして、同じように見えればきっと両親は安心するだろう。私を変だという人も減るかもしれない、と。
だけど理不尽な出来事を目にすると、心はそれを分析して排除しようとします。
それは今も同じです。
街中歩いていて割り込む人、人と買い物して平気でお金を出してもらおうとする人、これまで大丈夫だからと危険な運転ができてしまう人、思い通りにならず理不尽に店員にあたりちらす人…
何か一つでも目につくとすごくダメージを受けたりします。
風景として考えられない。
私はどうだろう?人に少しでも優しくできている?今傷つけてしまっていないだろうか。
私は大丈夫?
とても混乱してきます。
自分の一部が、そこだけ時が止まってしまったようです。
母のことを考え、私の子供のときのことを考えると
私の人生はいったい何のためにあるんだろう?と思います。
並べられた過去のカードを見て、これが私の人生?と。
沢山のカードがきっとある中で、自分に添えられたそのカードには、どう見ても「なんとなく揃ったカード」には見えなくて。
何かスッキリしないものを感じます。
本当の理由はもっと別なところにあるような気がして、でもそれがわからないので
カウンセリングとか、セラピーとかを積極的に考えています。
この一年あまりでようやく
正直に言うと生きてるだけで精一杯だな、と。そう思うようになりました(笑)
だからそれに息切れしたり、最後は自ら命を経ってしまう人が世の中にいると
とてもいたたまれない気持ちにもなります。
答えは何も出ませんが
仕事をやめたら、とにかくゆっくりして
自分の本当に出来ることを見つけられたらいいなと思います。
本当とても長い文になりました…。
今日も一日無事に過ごせますように。
日常の瞬きはいつしか魔法をかける
ちょっと思いついたものを描きかき。
上の写真は、エド・シーランの「Supermarket Flowers」を聞いて、ずいぶん昔に思いついていたもの。
エドの新曲PVを見たら可愛いポケモンのコラボで、テンション上がって昔の曲を聴いていたら、そういえばこんなのも考えてたなーと。
「あなたは母の姿をした天使だった」という歌詞があります。(和訳はどこかのYouTubeからなので公式ではないです、多分)
その歌詞をみて
ああ、そういえば私の母ももしかしたら天使だったのかもしれないなぁと。
私を産んでくれた人がすぐ亡くなってしまった後に、私と出会って懸命に育ててくれた人。
実は、先日親戚と会って
実母の写真をもらってはじめて色々お話を聞いてきました。
そんなに沢山の話が聞けたわけではなかったですが、たった2枚だけの写真でも彼女の写真をもらえたことは、うまく言えませんがモヤモヤしていたものが晴れ、とても良いきっかけになりました。
写真から見える彼女の表情は、会ったことはありませんでしたが、きっとこんな風に声を出して笑ったりはしゃいだり、父と会話をしていたのかなと不思議と伝わってきました。
それは決して悪いことではありませんでした。
色々なことが今年もありました。
沢山沢山考えて、自分の中から生まれていこうとする世界観や映像を捕まえる幸せも知りました。
そして決めました。
仕事を辞めます。
理由は、まぁ、カウンセリング含めた治療と静養が一番で。
それに伴ってもう少し制作に専念したいと思い、現在次の仕事は探していません。ずっとつぎの仕事を見つけてから転職していたので、この決断は自分にとっては大きくイレギュラーなことです。
生活のことを考えると、とってもとっても怖いです。
時には経験者の方からお話をきいたり
時には著名人の書物を読んでイメージを色々膨らませ
自分にとって本当に怖いことはなにかを考え、解決策などもできる限り考え、決めました。
年が明けるころには、きっと新しい生活のイメージが沢山広がっていると思います。
全ては、私の人生で約束を交わしてきた人のためです。
新作は、またクジラさんが描けたらいいなぁと模索し始めています。
新しい作品と、新しい一年に、これからが待ち遠しいです。
見えなかった世界
夏頃から書いていたアゲハちゃん。
他の制作もあってここでキリよく一旦見切りをつけました。
タイトル:「羽化」
サイズ:F6
アクリルガッシュ(白)、鉛筆、ドローイングペンで描きました。
本来の自分の羽を押しのけて、まるで体から湧き上がるように咲いてきた蓮華。その花言葉は「信条」です。
ときには身動きとれないほど捕らわれてしまうも、その生きる姿が少しでも美しく描けたらいいなと思って描き出しました。
本来ならもう少し踏み込めそうな余韻がまだ残っています。
ですがこの子にばっかり構っているのもなかなか心苦しく。
額装しながら見えてきたイメージでまた今後考えていきたいと思います。
描きながら、なんだかこの子は随分と自分に似ているなぁと思いました。
私の中からこれまで思いもしなかった考えが次から次へと出てきて
本当はもうこれまでの決まった生き方があったはずなのに、そっちじゃない、本当に咲く場所はきっと他にあると堰き止めてしまいます。
どちらの姿も同じ大きさなので、考えれば考えるほど苦しい。
仕事のこと、家のこと、家族のこと。
昨年から沢山考えて。
そしてさらにこの数ヶ月はもっともっと考えてきました。
もう自分の気持ちに嘘はつけないし、もう安心した生き方もきっと選べないのだと思います。
とにかく描いて描いて、沢山描こう。
それから考えよう。
思わせぶりな文章になってしまいますが
きちんと形が出来次第、ここにまた書いていきます。
今日はちょっと、眠れそうにないので
久しぶりに読書をして過ごそうと思います。
それでは。
たくさんの蝶たち
文京区教育センターで展示されている「蝶〜魅惑の昆虫〜」展へ行ってきました。
前日に偶然、日頃からTwitterで作品を拝見させて頂いているツカナ制作所(@tukana_seisaku )さんがおススメされていた展示で
この秋は昆虫博物館をいくつか回ろうと決めていた矢先にみたので、素晴らしいタイミングにこれはもう行くしかない!と。
蝶をスケッチするようになってからは
図鑑や写真集、インターネットなどの資料を最大限に自分寄りのデザインに落とし込んで制作をしていましたが
もーーーーなにがストレスって、二次元しか情報がないのって本当に描きづらい!
ということを日々実感していました。
ミヤマカラスアゲハちゃんを描いたとき
自分で撮影した桜を描いて羽に添えましたが
それがすごく自分に合ってると実感してから
やっぱり一度は本物を目で見ていかないと、何事もモチベーションは維持できないのだなと改めて痛感しました。ほんとに。
もうメンタルが枯渇してたほど情報に飢えていたので、この展示場所に着いた瞬間、たくさんの蝶に囲まれた時の感動といったら言葉にならなかったです。
化学への知識は素人な私でも、一つ一つの蝶たちが本当に精度高く並べられていて、いかに深い愛情で飼育され研究されてきたかがわかります。
これらの蝶をコレクションすると共に、政治家でもあった鳩山邦夫さんの素晴らしい研究と、蝶の採取から飼育までの活動ぶりがたくさん記録されていて、政界での活躍とは全く異なった視点での姿には驚かされてしまいました。
入口に置かれていた彼の書籍「チョウを飼う日々」も、何頁か読ませてもらったのですが、一つ一つの研究結果への凄まじい記憶力と、蝶を生かすことへの執念、何より蝶を通して与えられた人の生き方への概念さえも繊細な文章に込められていました。
こちらは絶版になっていることがとても惜しいです。
(彼の功績をきちんと後世に残す意味でも再出版を強く望んでいます。何より私が欲しい。)
写真撮影はフラッシュなしなら許容範囲とされていたので、少し撮影したあとで写真におさまらないものは簡単なスケッチとメモを取ったりしました。
それなりの人がゆっくり眺めて会場を後にしていく中、かなりの時間を滞在して黙々とメモをとる私。
そんな私を何度か会館のスタッフさんも心配そうにチラチラ確認されていました。……さすがにちょっと熱が入りすぎて怪しかったかもしれません。笑
これまで色々な展示をみてきましたが、心に残るものは沢山あっても、見た瞬間のふわっとした印象や考えた言葉を即座に会場で記録できるというのは、なんて贅沢な時間だっただろうと思います。
そしてそういった行動をできる自分へも驚いていて、帰りの道中も沢山のアイデアや思いを巡らせて充実した時間になりました。
こんな時間がこれからもたくさん増えたらいいなぁと思います。
まだどんな生き方ができるのかは全く見えてきませんが、それでも今なにが出来るのかがとても大事なんだと思います。
とにかく楽しかった。
次に行きたい化学博物館も見つけているので
年内は楽しく出かけて制作していきたいなと改めて気が引き締まりました。
明日も描くぞー!
冬が来る前に、もう一度春を
大阪で行われる、2022年度の全国彫紙アート展へ出す作品が完成しました。
タイトル:「恋しちゃったんだ」
サイズ:A4 枚数 14枚
線画はいくつかの下書きで一番お気に入りでしたが、なかなか色が決まらず悩んでいたとき。
偶然サブスクからYUIちゃんの名曲が流れてきた途端、あっという間にハート形の花びらに色がついていきました。
(それまで自分では花びらがハート形になっているのも気づかずだったので…改めてフィーリングラインって面白いなぁと実感しました。)
手描きの線を活かして紙を彫るのは本当に大変なんだと痛感。
そしてそれを活かすもその逆も、ほんの小さな構図意識や額装で変わるんだなーと。
それでも、ここ最近で一番楽しく彫れました。
自分の中での新たな一面を知ることもでき、新しい世界が見えた作品となりました。
この作品を作っている間は、とにかく感情の浮き沈みがあり、作りながら突然涙が止まらなくなるほど…自分ではすぐに認識できない感情がいくつもぶつかって溢れてしまった時もありました。
そんな自分を改めて客観的に見て、もう今のペースの仕事量を続けながら、制作をしていくことは困難だと判断しました。
旦那さんと、とにかく何度も何度も話し合って
どうやったら2人でもっと制作に向き合った生き方ができるだろうと
少しずつ対策や2人の考え方を伝えあって生活していくことの基盤を作り始めています。
私はより、私自身を見つめ発見していく必要があり
旦那さんは今より深い懐での居場所が必要なのだと。
夫婦でそれぞれ互いの作品の方向性を見ていきながら、世の中の流れとは全く異なった生き方をしていくのは、難しいことも沢山沢山あります。
今は理解されなくとも、いつかきっと形にできることを信じて過ごす他ありません。
年末は、とにかく。
本当にとにかく、たくさん!制作を目一杯楽しんで過ごしたいです。
まずは今年の全国彫紙アート展に参加できることを、心から嬉しく思います。
そしてこの熱が絶えないうちに、次へのつながりをつくっていきます。
良い活動をここでもお伝えできますように。
それではこの辺で。