色彩の記憶
カウンセリングの帰りに見つけて、つい買ってしまったポニーフック。
なんだか今作っている作品に愛通ずるものがあるなぁと、勝手に親近感が出まして。
私は伸ばした髪に対して何のアレンジも縛りもしないので、せめて飾りくらいは気持ちの上がるものを、と最近思い始めています。
それにしても…こ、こんなキラキラしたの付けるの久しぶりだァ…ちゃんと付けられるのか 笑。
それはさておき。
最近とてもピンク色が好きになりました。
始まりは桜を春からスケッチしたことですが、少し前からとってもピンク色が似合うお友達とお話することがあって
彼女はピンク色の何かを人へプレゼントをするのも、とても上手です。
職場でお世話になっている人にピンク色パッケージのボディスクラブを差し入れしてるのをみた時は関心してしまいました。
(プレゼントとしてはお互いの好みの世界を攻めた領域だなと…
でも彼女が渡すとすごく自然体で、見ている私でもハッピーになったのです)
私はピンク色にはとても苦手意識があって
1度、彫紙アートのお教室で先生と
「ピンク色の紙をもっと素敵に使えるようになりたい」と、割と神妙な面持ちで相談したことがあったほとです 笑。
それが友達と知り合ってからは
小物にピンク色を上手に使う彼女を見て素直に素敵だなと思い。
あれよあれよと、私もピンク色が好きになりました。
苦手意識を持つようになったのは
かなりボーイッシュだった幼少時代に
「お前はピンクって顔じゃないだろ」
と、クラスメイトの男子にかなーり辛辣な感想を言われたのがきっかけでした。
どこを歩いていても、親ですら「息子さん?」と性別を聞かれていたのと、サバサバした性格なことをこの時には自覚していたので
なるほど!と思う自分と、ガーン!とショックを受けた自分とで頭が真っ白になった記憶があります笑
( 母も頑張ってスカートを履かせてくれたりしたのですが…色々と難しかったようです)
なのでピンク色と距離を置いて過ごしてきた現在。
ある日ふと…どうしてピンク色が好きなのかを思い出しました。
私は色を見ると同時に匂いも感じたりするんですが
何故かピンク色は決まってミルクの匂いでした。
見るだけで安心する、心地良さを感じていたんです。
だからピンクは女の子の色と思っていたわけではなく、ボーイッシュ少女の時代は(持ってるとなんか癒される)
という割と漠然とした理由でした。
その理由はある時に見つけた1枚の写真。
母と出会うまで、父には私をしばらく預かってもらっていた施設がありました。
そこでおそらく父が撮った私の写真で、ベビーベッドから壁紙から一面ピンク色の、とても可愛らしい部屋の写真がありました。
自分でも信じられませんが
その時の記憶が断片的ですが、まだはっきりと残っているんです。
2歳にもなってないのに、覚えてるもの?と不思議ですが
少なくともピンク色に合わせて甦ってくるミルクの匂いは、紛れもなく粉ミルクの匂いでした。
それがわかったとき。
改めてピンク色が好きな自分を大切にしようと思い、今作っている作品には、たくさんピンク色を使っています。
どんな仕上がりになるか、自分でも楽しみです。
いつからか、とてもとても
自分の中が目まぐるしく変わっていくように感じています。
作れば作るほど次の作品のイメージが湧いてくるように
毎日自分への気持ちやかける言葉に何かしら変化しています。
偶然とは思えない素晴らしい瞬間の出来事に立ち合ったり
過去現在未来全ての軸が繋がりつつあります。
だからこそ制作はより一層大事にしていきたいなと。
年末もたくさんたくさん作品を作りたいです。
昨年は体調をかなり崩した秋だったので
今年はたくさん良い思い出を作りたいな。
制作の秋
描いているミヤマカラスアゲハ。
桜の部分に手を入れ始めました。
会員展の作品も同時に作っています。
彫り始めはいつも緊張でドキドキ。
春頃に彫った作品と連作になります。
連作といえば。
最初にミヤマカラスアゲハを描いてからは、ずっとその世界観を追っています。
春と蝶をテーマとした連作という意味もありますが、自分の中はそれだけでは収まらない愛着も感じ初めています。
今年は思い浮かんでからとにかく描き出しています。
お陰で未完成の作品が作業部屋に点々と。
会員展が終われば今年の彫紙は2作、水彩が2つ、鉛筆画が一つ。
鉛筆画が終われば年内に5点は仕上げられることになります。
そして実は新作2点のラフスケッチも昨日できました。
目標は、その2点も年内におさめたい。
どれも大きくてもF6からB3サイズなので、そこまで大きくはありません。
そろそろB2サイズの作品も考えてはいるのですが、現段階はまだいっぱいいっぱいですね。
手が止まっていま二ヶ月を振り返ると、少し制作がのってきたように思います。
その二ヶ月の、ほんの少し前に
制作以外の時間に仕事など自分が熱を持って取り組んでしまったり
その割には人間関係でうまく踏み込めずなやんだり、制作もなんだかんだで手をつけられない時間が増えていったときに
これまで以上に自分は何て中途半端な人間だろうと感じました。
自分の人生に、自分の時間の使い方に責任感がなさすぎではないか?と。
仕事を取り組むことは間違いではないですが
ここで自分がしたいことも、できることの精一杯はもうしているはずで
それ以上のエネルギーはどこに費やすべきかをもう知っているはずなのに、と。
と、いうことで
少しずつ気持ちを取り戻せる状況ができてよかったなと思います。
以前からマツダケンさんの絵がすごくすごく好きで
それこそ手が動かないときはマツダさんの塗り絵本を見たり実際に塗ったりして、自分にとってのリハビリ時間として過ごしていました。
都内での大きい展示を終えられて、インスタライブでその内容話を聞いていると
一つ一つの言葉の重みとか、人に見てもらうことをとても真摯に受け止めてられていて
まだどこにも作品を発表してもいない私ですが、すごく身を引き締められる思いです。
池袋の展示行きたかったなぁ…
どこかで作品はお目にかかりたいです。
今月いっぱいは、彫紙作品に集中しようと思います。
それではこの辺で。
新陳代謝
こんにちは。
今回も描きかけの作品ですが。
ちょっと記録がてらここに記したいことがいくつか出てきたので書いてみます。
今週、初めて職場で絵を描いてと言われまして。
お店で扱う商品の宣伝なんですけど
それなりの大きさで、自宅でも最近そんな大きいもの描いてなかったなーと思って。
これが今回限りのお願いなのかは分からないのですが、自分がプライベートで絵を描いているという認識をしてもらった上で職場からのお願いをされたのが、多分きっと人生初なんです。
それまではプライベートの友人に頼まれるか、あとは仲良い人にはサプライズイベントでプレゼントしたりとか。(転職、引越し、誕生日など。)
ウエルカムボードも少しだけやりました。
けれど仕事においては、プライベートの制作とめっきり分けて取り組んでいて、まして頼まれるなんて夢にも思っていなくて 笑
不慣れで歪な形にはなってしまいましたが、ただやってみて、すごくすごく楽しかったんです。
それで、自分がこれまで何をしたかったか、何が好きだったかを
また忘れていた箱の中からバーーーっと沢山出てきて。
過去の記事で、もう1人の自分がそれを取り上げて、また仕舞おうとする感覚があると描きましたが
自分でもびっくりするくらい、そんな「もう1人の私」はいませんでした。
ああ、なんだ。好きな物なんて1つじゃなくていいし、さらに言えば、私は本当に絵が描けるならなんだって好きだったのだ、と。
人物がとか、蝶の標本画風とか、猫とか植物とか。
全部1個1個が独立して存在しているのだと思っていました。
でも違ったんだな、と。
少し前から、体質改善で起床時間と朝食に必ず食べるものを決めているのですが
この世界には人工も自然物も全てが呼吸をしていて、乾きと潤いの両方を持っているのだと実感しました。
全てのものが、それぞれの呼吸をしている限り、私の呼吸も全てのものと繋がっているんだなと思います。
呼吸をすれば乾き、どこかで私たちは潤い、そしていつかは老いて古くなります。
そういう世界にいることにやっと気づいて、それは決して不幸ではないのだと気づきました。
古くなっても、何かが新しくなっていくのは確かなので。
呼吸をする限りは新しい世界に触れていこうと思い始めています。
私の中に何かが生まれなければ、描く意味はないと思っていました。
なのでいつか、その生まれゆく何かが自分へ巡ってこなければ
私はきっと描くのを辞めるだろうと思っていました。
それがこの描けなかった2ヶ月間かもしれないとも思いました。
けれど呼吸をして乾いていく限り、私は描くのだろうという気持ちへ変わりました。
まだ作品はとても少ないですが
たとえ数年後であっても個展などを開けるように
もう一度気持ちを引き締めようと決めました。
まずは秋の彫紙アート会員展へむけて制作していきます。
それでは、今回はこの辺で。
やっと制作はじめました
長かった…ほんとに長かった…
前回の記事を書いてから、時々は作業部屋を掃除したり展示の情報を調べたり、体調を見ながら軽く作業はしましたが
なんか違う、これも違うとやりかけた作業を止めてしまう日が続きました。
思いついて手を動かしても、出来上がるのがちょっと違うんです。
作品を作ってて理想通りだったことなんてほとんどないけど、それにしても、真ん中どストライクに好みな服がなくて、仕方なく色違いでしっくり来ない服を我慢して着てるような、ダメじゃないんだけど何かがすごく嫌という時間が長かったです。
現状を良い方へ考えようとすればするほど気持ちが落ちていき、ちょうど自分の体調もあって、そちらの改善へ感覚をシフトチェンジしていました。
春から通っているカウンセリングも、大きな変化まではなくとも、淡々としながらここぞという部分をカウンセラーの方とお話できていて
少しずつですが、小さい歯車がゆっくり噛み合ってきているような気持ちです。
絶対に上手くいくと思っていたことがダメだったからといって
これはきっと上手くいかないだろうと思っていたことも不正解とは限らないんだなぁ、と。そういうことに実感できました。
以前描いたミヤマカラスアゲハちゃんは、羽にサクラを背負っていて、自分なりの内省のきっかけになっていますが
あの子が上手く描けたという実感もまだなくて、
1番最初にポンッと降りてきたイメージに近づくのに必死です。
まだ今回も答えは出ないけれど、つぎに繋がるイメージができればいいなと思います。
あと、絵の具!
アクリルだけでなく色んな素材に触れてみたくなりました。
コロナ禍の受け止め方が少しずつ変わってきた世の中を見て、私もまた画材選びに力を入れていきたいです。
まずは少しでも早くこの子が完成できますように。
増えていく桜がどうなるか楽しみです。
新しいものを取り入れる
知らんがなと思いの方、すみません。
私も知らんがなと言える側になりたかった笑。
それくらいほんとにもう、子供の頃から雨も湿気も低気圧もだめで
朝の天気予報で梅雨前線見るだけで頭痛がしてました。
それでも雨のにおいとか、小雨は好きなときもあったんですけど
こないだはとうとう、仕事中にふと感じた雨の匂いで吐き気出てしまい
今年はどうやらノックアウト率が高いようで。
そんなわけでまだ全然体調が立ち直れてないです。
加えて猛暑。
今年は耐えることが多い夏になりそうです。
(長い愚痴になりました。)
今回は制作に全く関係ないお話です。
【スマホを変えました】!!!
ここ最近でいちばん中身のない話題ですみません(:3_ヽ)_
どうしても、どうしても、AndroidからiPhoneに変えた嬉しさが止まらずでして。
iPhone、使いづらそうだなーと思ってましたが全然でした。
先代、先々代のスマホちゃんたちはどうも相性が悪かったらしく、アプリの使いやすさに問題はなくても本体が壊れやすかったり、本体に問題はないけど保護ケースが全然販売されてなかったり、フィルムも全然売られてなかったりで、カスタマイズできない機種を買っちゃったりでなんか色々と残念だったんです。
少なくとも保護ケースでもう悩みたくないな…と。
なんなら好きなようにアレンジしたり自分でデザインしたいなと。
スマホケース デザイン 自作
で検索すると圧倒的に対応機種が出るのはiPhoneちゃん。
そんな訳で先代のスマホからiPhoneにするかを悩んでAndroidにしましたが
ついに今回のスマホで機種変、iPhoneへと心機一転しました。
iPhone12のブルーさん。
カバーの中はツカナ制作所さん(@tukana_seisaku )のサンクスカードを入れています。
スマホ1つでこんなにテンション上がるなんて。
箔押しの月も綺麗でしょー!
職場でもわざわざカバーを見えるように使っています 笑
いいものを描けるひと、すごいなぁ。かっこいいなぁ…。
体調整えて早めに私も制作戻りたいです。
暑さと繁忙期の職場に負けないぞ!(ちょっと小声)。
梅雨入り
こんにちは。
バタバタと締切に追われた5月末でしたが、
クジラさんも、彫紙作品も無事に搬入できました。
ここでも告知をしたいと思っていましたが完全にガス欠しました…
ペーパーボイス東京で行われている「K’s ART 教室展」ですが
なんと明後日の金曜日が最終日となってしまいました。
あっという間…。
Twitterの方では告知しています。
会場の様子なども見れますので、ご興味ある方はちょっと覗いてみてください。
しばらく休んだ後
休憩がてらまたアクリルで描いてみようかなと模索しています。
秋の会員展も本格的に考えなくては…(´-`).。oO(
さんま画廊の番組でご活躍された高嶋シオン先生の個展へ足を運び、そこで林先生とお会いした時から
短い期間でも作品に取り組む姿勢というのを教えて頂き
とても小さな作品ではありますが、3ヶ月で1つ完成できたことはとても大きな刺激と、完成までの言い訳をしなかった自分への自信になりました。
タイトル︰「かくれんぼ!みーつけ、た?」
大きな花びらの中に、蝶が隠れています。
作品の角度を変えて見ると、このアオスジアゲハがうまいこと隠れて見えるので、面白い仕上がりになりました。
(私も時々見失いながら彫りました笑 )
最終日、搬出の前にゆっくり会場の風景をみて過ごしたいと思います。
梅雨に入り、紙作品には湿気で気難しい季節となりました。
作りたい作品はとてもたくさんあるので、体調と向き合いながら過ごしていきたいと思います。
ちょっと零したくなった話をいろいろ。
今月に仕上げたい彫紙アート作品、すこしずつですが進み始めました。
彫る感覚もようやく戻り始めた実感が湧いてきて、楽しさも増しています。
フィーリングラインに取り掛かる前の作品とは違うカットの緊張感もあり、なにより新鮮です。
近頃悲しい時事ニュースがいくつかありました。
あえて1つを取り上げてなにかをお話することはしませんが、
少しだけ自分の話をするとしたら、私も春からメンタルクリニックに通い始めています。
ここ数ヶ月、以前に増して自宅のテレビをつけない私でもSNSからショッキングな内容が多く、そして自分の不調のときに誰かの訃報を聞くというダメージもより深く知りました。
20代で、父を見送った時は今以上にバランスを崩してしまい、その時に通っていた別のメンタルクリニックでは自分の行いを守れなかったりと反省も多かったので、今はきちんと自分の話をする、という前提で担当の先生と接しています。
まぁ単純に、ちょっとプロの力を借りて自分を客観視したいなーと。
制作のペースが戻ってきたのは誰かに進められたわけではなく、通院していくにあたって作品と向き合うタイミングは、今こそがチャンスだと気づいたからです。
日々自分の心象風景で生まれゆくものと、プロの人の意見と擦り合わせて自分を見つめ直す良きタイミングだなぁと。
以前に私が好きなブルーノ・マーズが
「心の憂鬱を吹き飛ばすのは新しいことを見つけるしかないよ。人はなにかを知るとすぐ慣れてしまうからね。辛い時こそそれを助けるのは新鮮な感動なんだ」
と話している記事を見つけて(ちょっと文脈の詳しい部分はうろ覚えですが。)
当時割とダークなメンタルだった私はなるほど、と思い
今はそれを大事に自分の気持ちへしまっています。
何故かと言うと、この彫紙アートこそ自分の憂鬱を晴らしてくれた世界だったからでした。
自ら命を絶ってしまった人は、新しいことにどんどん努力をして、力尽きてしまった人なのかなと最近思います。
そして今はコロナ禍で人との会話や接点が大幅に減っている時代で、私自身もこれまでに感じなかった孤独感を感じています。
少し前までは、心になにかを抱える人たちをイレギュラーな捉え方をしている部分があったと思います。
でも今はどうでしょうか。
誰もが自分の寂しさや苦しさに気づいていて、むしろそれを手に取り実感し、可視化して共有できる場や、何より浄化できることを望んでいるのではないでしょうか。
こんな言葉は大袈裟でしょうか?
「なりたい自分になる」
「幸せは誰かと比べられるものではない」
そういった言葉をいろんな場所で見かけるようになりました。
そこには必要な癒しが存在すると思います。
人より早い最期を望み、選択してしまうことになにかを言えるほど私は大きな人間ではないです。自分もそうだったから。
でもきっと癒し合える世界がこれから出来るとも信じています。
必要とされたいものが、必要とするものと出会う場が増えること。
そのためには自分がどんな人でありたいかを、考える人たちが増えているような気がします。
今の私が言えるのは、そんな人たちに励まされて、今日も作品を作れているということだけです。
そういう輪が広がってほしいなって今は思います。
今日の雨もどうか、たくさんの人にとって優しいものでありますように。