光線と暗がりの間
⚠️注意
今回はかなりダークな内容が含まれます。
苦手な方はリターンをお願いします。
先日、学校の帰り道で突然不調をきたしてしまいました。
これまで必死に頑張ってきたことが突然キャパオーバーしてしまったのです。
単に課題が多かっただけでなく、心療内科の通院で検査を希望し、そこから見えてきたものが最後の隙間を溢れさせてしまったようでした。
検査結果は、まだ全ての項目が終わっていないので詳しくは書けませんが、それでも発達障害と呼ばれる名前の「何か」に該当するのは確実ということは結果が出ました。
まぁ、えっと
あれだけ学校で改めてわかったことがはっきりしていれば…自然な結果な訳で。
それでも複雑な気持ちは消えないです。
何か明確な診断名が出たとしても、私はそれに抵抗があるわけでも、隠すつもりも、福祉を利用する必要がでたとしても、それに対して自己評価をするつもりはありません。
そして、差別されることも全く耐えられないことではありません。難聴が顕著になったことで、それらしき空気は幾度か体験しているので、慣れてるというか。
映画で「5パーセントの奇跡」という作品があります。
幼い頃からホテル勤務を夢見る青年が、就職を目前に病で95%の視力を失います。
その彼が、盲目を隠してホテルで働くノンフィクションストーリーをコメディに脚色したものです。
すごく明るい話で、今でも大好きな作品です☺️
その主人公である彼が、盲目だと周りにバレないように懸命な努力をしていく様子が、恐縮ながら自分と重ねてみる部分がありました。
周りと違うなんて思われたくない。
そのため彼は周囲に見られないようにロビーの空間や料理、お酒の種類を唯一それを知る彼の友人と暗記していくのです。
私も、課題で人より遅い作業を帰宅後になん度も見直したりしていました。
それでも特定のサポートがないと次に進められないことが分かると、周りへの申し訳なさや、自分の体質がほとほと嫌になりました。
好きなことなら、絵を描くことなら、どんなことでも頑張ろうと思えるのに、
それは私自身の社会的な評価の中心にはなりません。少なくとも、今の私の評価には、です。
私が頑張れることも、頑張りたいと心から思うことも、それは形にはならないかもしれない。そう思うと辛く、気づいたら駅で茫然と数時間過ごしていました。
翌朝腫れ切った瞼を開けながら、無性に紙が切りたく、クラフトパンチでくり抜いた蝶を切っていました。(彫紙作品の前に練習としてよくやる作業です)
母を見送って3年になろうとしていますが、それからどんどん自分が違う人間になっていくようだなと思います。
発達障害が認知され始めている昨今、まだグレーゾーンと呼ばれる人たちは居場所を見つけられずに苦しんでいる人たちが沢山います。
診断名がもらえるなら、それはそれで幸運かと言われたら、分かりません。
今でも頭に焼き付いているのは、Twitter投稿で、発達障害を診断された後にバイク旅行でダムに身を投げた彼のことです。
会ったことも、話したこともない彼ですが、彼のような苦しみを無駄にしないためには、今も悩む人たちの痛みに蓋をしないためには、私が自分のことをまずきちんと受け止める必要があります。
それしかできません。
もう卒業できないかもしれないと思った学校も、最後一踏ん張りしてきます。
ついていけるかわからないけど…笑
今後のことはまだ真っ白です。
検査の有効性を医師ときちんと話し合い、自分がどうしたいかを考えていきます。
ただ、もしかして、時間の経過や治療次第では、詳しくどこかに書いてみようかという気持ちもあります。
そのことは、今後次第の形になります。
なんだか今日の曇り空のような、スッキリしない内容になりました。
明日は晴れるようなので、掃除して出掛けたいな。
読んで頂き、ありがとうございました🙏