ちょっと零したくなった話をいろいろ。
今月に仕上げたい彫紙アート作品、すこしずつですが進み始めました。
彫る感覚もようやく戻り始めた実感が湧いてきて、楽しさも増しています。
フィーリングラインに取り掛かる前の作品とは違うカットの緊張感もあり、なにより新鮮です。
近頃悲しい時事ニュースがいくつかありました。
あえて1つを取り上げてなにかをお話することはしませんが、
少しだけ自分の話をするとしたら、私も春からメンタルクリニックに通い始めています。
ここ数ヶ月、以前に増して自宅のテレビをつけない私でもSNSからショッキングな内容が多く、そして自分の不調のときに誰かの訃報を聞くというダメージもより深く知りました。
20代で、父を見送った時は今以上にバランスを崩してしまい、その時に通っていた別のメンタルクリニックでは自分の行いを守れなかったりと反省も多かったので、今はきちんと自分の話をする、という前提で担当の先生と接しています。
まぁ単純に、ちょっとプロの力を借りて自分を客観視したいなーと。
制作のペースが戻ってきたのは誰かに進められたわけではなく、通院していくにあたって作品と向き合うタイミングは、今こそがチャンスだと気づいたからです。
日々自分の心象風景で生まれゆくものと、プロの人の意見と擦り合わせて自分を見つめ直す良きタイミングだなぁと。
以前に私が好きなブルーノ・マーズが
「心の憂鬱を吹き飛ばすのは新しいことを見つけるしかないよ。人はなにかを知るとすぐ慣れてしまうからね。辛い時こそそれを助けるのは新鮮な感動なんだ」
と話している記事を見つけて(ちょっと文脈の詳しい部分はうろ覚えですが。)
当時割とダークなメンタルだった私はなるほど、と思い
今はそれを大事に自分の気持ちへしまっています。
何故かと言うと、この彫紙アートこそ自分の憂鬱を晴らしてくれた世界だったからでした。
自ら命を絶ってしまった人は、新しいことにどんどん努力をして、力尽きてしまった人なのかなと最近思います。
そして今はコロナ禍で人との会話や接点が大幅に減っている時代で、私自身もこれまでに感じなかった孤独感を感じています。
少し前までは、心になにかを抱える人たちをイレギュラーな捉え方をしている部分があったと思います。
でも今はどうでしょうか。
誰もが自分の寂しさや苦しさに気づいていて、むしろそれを手に取り実感し、可視化して共有できる場や、何より浄化できることを望んでいるのではないでしょうか。
こんな言葉は大袈裟でしょうか?
「なりたい自分になる」
「幸せは誰かと比べられるものではない」
そういった言葉をいろんな場所で見かけるようになりました。
そこには必要な癒しが存在すると思います。
人より早い最期を望み、選択してしまうことになにかを言えるほど私は大きな人間ではないです。自分もそうだったから。
でもきっと癒し合える世界がこれから出来るとも信じています。
必要とされたいものが、必要とするものと出会う場が増えること。
そのためには自分がどんな人でありたいかを、考える人たちが増えているような気がします。
今の私が言えるのは、そんな人たちに励まされて、今日も作品を作れているということだけです。
そういう輪が広がってほしいなって今は思います。
今日の雨もどうか、たくさんの人にとって優しいものでありますように。