Decembersnow19

好きなものを描いたり載せたり。 2015年から彫紙アートの作品を作っています。FBやTwitterやっています。絵描きさん、作家さんからのコンタクトもお待ちしています。

About my mother

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早いもので母が亡くなって1年と少しが経ちました。

ちょうど1年前の春は1人になった一軒家で、母が残した4匹の猫たちと細々と暮らしてきた日々を振り返っていました。
母が入院してから見送るまでの3ヶ月間、とても慌ただしく過ぎながらも走り抜け、ふと気づけばその出来事を励まし癒してくれるように桜が咲いていました。

母を見送った後は、目に見える全ての世界が変わりました。
世界から見える色味だけでなく、自分自身の姿さえもこれまでと見え方が変わりました。

私が私たらしめるものはこの手の中にあると思っていたあの日、一通の書類でそれは打ち砕かれました。

母の年金受給の停止に必要だった戸籍謄本が届き、何気なく封筒を開く。私の出生日の隣に書かれていた【母】という欄には、三十年あまり一緒にいた私の母ではない、まったく知らない人の名前がありました。

その出来事が起きてからの、一瞬で世界の音と空気が止まった感覚は今でも忘れられずにいます。
人間は驚き現実を受け止められないと、どんなに目をこらし物事を見つめても心はそれを拒否してしまうものなのだと思い知ったのです。

たくさんの時間をかけて噛み砕いた事実。

【母】とされる名前のその人は、私が産まれたその後数日で病のため亡くなっていて、私自身が知らずに手を合わせていた仏壇の過去帳で、何気なく目にしていた人の名前でした。

そこまで気づいたところで、それ以外の事実は父方の親戚の人から改めて詳しい事をいくつか確認することができ、その日から私は、自分が「母だと思っていた」人を改めて思い馳せ、毎日たくさんの気持ちが湧き上がっては飲みこみ、時には感謝を、時には後悔の懺悔を、時には最後まで事実を伝えなかった恨みを空に向かって心の中で投げていました。

なんていうか、まぁ単純に。
私が母だと思っていた人は父の再婚者というだけのことで、世の中まったく珍しい話でもなんでもないのです。
ただ私の両親は、何故かとても人並み以上に繊細な部分があって、その事実を伝えるのにとても悩み、タイミングを逃したまま去って行ってしまったようなのでした。

それでも数えきれないほどの「何故」や「どうして」を繰り返しました。
母を見送る時に触れた頬や手の感触。彼女の目から零れたひとすじの涙をぬぐった時、その涙はとても冷たかったのをはっきり覚えています。

最後に向かいあった私たち二人の気持ちは、他に例えようもなく「母子」でした。

寄せては返す波のように、止んではまた曇り降りしきる通り雨のように、悲しみと苦しみは交互に私を落とし込みました。

そのたびに自分を散々痛めつけたあとに湧いてくるのは言い換えようのない両親への感謝でした。

その感謝を何度も味わい少しずつ心に陰りが減り始めた頃、今度は一つ一つ体調のどこかを崩す出来事がありました。

はっきり言ってすごくしんどかったです笑

特にちょうど昨年の秋、一周忌を迎えた頃が激しい波のときで、難聴とメニエールが相まったことと、コロナの度重なる自粛やワクチン推奨の動きでかわっていく変化や、転職したお店の変化など、とにかく環境の動きもすごかった気がします。

とにかく今の渦から抜け出したかった私は、厳しい自粛モードの中でしたが、同じように厳しい規制の中で懸命に活動されている、自分が応援してきた作家さんへの展示に足を運びました。
そこでずっとお迎えできたらいいな…と思っていた作家さんの作品を購入することができ、それを眺めながら作家さんが作品へ思いを込められたことの感動を改めて感じました。

その作家さんの作品を手にした日から、私の中で少しずつ何かが変わってきています。
母は私に、 とにかく私が好きな絵を描いてほしいとずっと願ってくれていました。
その母からの言葉を実行に移すこと以上に、今は感謝の証を表現することはできないかもしれない、と。

その展示から帰ってきた翌朝、明け方に目が覚めた私の瞼の裏に、美しい蝶の姿や新しい作品のイメージがいくつも現れてきました。

そのまま起き出し、寝巻きのまま紙とペンを持ち、少しずつ走り書きから、具体的な鉛筆画へと書いていきました。


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それがミヤマカラスアゲハと桜で、「息吹」と名付けたものでした。

その時にはっきりわかったことは、私が今逢いたい母はもういない。けれど、母の命は私の中へ確かに宿ってきているのだと。

私が表現する物のなかに、彼女がきっとどこかで宿り守ってくれるのかもしれないと、そう思えたのでした。

それならば、私ができることは、命あるものの姿をきちんと自分に向き合っていくことなのだと。

母はとても生き物を大事にする人でした。園芸の花や我が家の猫、夏祭りにの金魚すくいでとった金魚でさえ大きくなるまで数年見守りました。

いつか私の作品が、母に届きますように。

そう思い、今は1枚1枚書いていきたいと思います。

自分の頭に浮かんだことを紙に書き出せるというのは、本当に幸せなことです。
逆に精神的な理由であったり、体のメカニズムで不調が起きたり、あるいは制約的な環境がある日起きて、作り出したいものが手にとれないというのは言い表せないほど苦しいことでもあります。

表現をする場や時間を貰えることは本当に恵まれていなければできないことです。
それは経済的な幸福には替えられないほどの貴重さでも在ります。

今日まで私を生かせてくれた全ての人たちの気持ちを大事に、そしてそれが作品へ繋げていけるような制作を今後していきたいです。