NO TITLE _2
2年くらい前になるでしょうか……
突然、アクリル絵の具でマチエル遊びをしたい時期があり、なんにも考えないで作業したものです。
サークルの意味とか黒に意味はとくにありません笑
多、分こういうのが好きなのかもしれませんね笑
以前、自分の中にある箱で、まだ開けられてないものがある気がするという
なんともふわっとしたイメージについて書きました。
きっと誰でも、見たくない自分のことってあるのだと思います。
ここでその具体性を伝えるのはとても難しいので、あえてふわふわのままの文面でまた考えてみようと思います。
今の自分は仕事が変わり、時間の作り方が変わり、少しずつ手作業する楽しさが増えてきています。
それに合わせて、過去の自分の作品を見返したりして
言葉にならなかった部分で、自分が何を思って過ごしてきたかを考えています。
開けられない箱を開けることそのものより、実はこの中間点に秘密があるのかな、と今は思うようになりました。
どれだけの人が似た考えかは分からないのですが、
私は物心つくかつかないかの頃からの記憶が、断片的にですがはっきりと記憶が残っていることがあります。
3、4歳のころ
今で言う育児ノイローゼになった母をみかねて、祖母が一緒に暮らしていてくれた時期があるのですが
その時に住んでいた部屋、その匂いや間取り、使っていたソファの触り心地、テーブルの高さ、絨毯の色、祖母の声や夕食時の風景など、
なぜかその頃の記憶のほうが残っていたりします。
その部屋というのは、父の転勤で引っ越した時のもので、私の記憶の中にある1番最初の引っ越しでした。
慣れない土地で知り合いもいなく、交通が不便な立地で車の免許もなかった母は、後の思い出話で、自分は絵に書いたように孤立していたといいます。
さらに私は、言葉を覚えて話すのがかなり遅かったそうで、私の記憶では母と一緒に過ごしていても、今思えば会話らしい会話をできていなかったように思います。
ものを伝えるときはあれ、それ、で、自分の意思を伝えるときは嫌かそうでないかでしか示せませんでした。
食べ物でもアニメのキャラクターでも、自分が好きなものの名前を覚えられず、何がしたいかも言えず、さらに言えば、楽しいとか美味しいとかも分からず、自分でも感情を理解できていませんでした。
そんな私と母が向き合うのは、とても大変なはずだったと今は思います。
それでも、それを忘れずに過ごしてきたこと。
それが良いかは別として、でも忘れずにいられる感覚というのは、実は貴重なのかもしれないと思うようになりました。
少し前から、作品のアイデアが浮かんだときに、必ずメモするようにしています。
そのメモがたまってくると、なんでもない子供の頃に見た風景って、実は繋げられるのかな…という気がしてきています。
(繋がる、というより
脳にインプットするときの感覚があまり変わっていないような気がしていて………苦笑)
それがどう繋がるかは、まだはっきりとはできていないのですが
作品を作ることで自分を赦すという、そこには何か、とても意味があるように思えてきています。
そして、こんな風に昔を振り返りたくなったとき
必ず見たくなる映画があります。
Twitterでもよく書いていますが笑
マット・デイモンとロビン・ウィリアムスの
「グッド・ウィル・ハンティング」。
主人公の、自分の人生の向き合い方に励まされます。
映画の台詞も、今見ても自分にとってすごく感動的な部分が多いです。
さて、昨日うっかり新しい作品のアイデアが浮かんでしまってるのですが
今度は完成への作業が渋滞気味です笑
こういう時に昼間仕事してることの歯がゆさがあります……………
せっかくここの更新も(私にしては)ちょっと順調なので、うまく繋げていきたいなと思います。
脈絡ない内容になりましたが
今回はこの辺で。
それではまた。