沢山のありがとうを
こんにちは。
先週末から素晴らしい快晴が続いています。
残り少ない秋の風の匂いと、新たに迎える冬の冷たさが入り交じった10月の終わりです。
私事ではありますが
10月23日の夕方に、3ヶ月あまりの闘病を経て
母がお空へと旅立ちました。
苦しい闘いの末の、ようやくたどり着いた永眠でした。
亡くなる前日、病院からは状態をしっかり伝えられていたため
夜が明けた朝からいつでも駆けつけられるようにしていました。
午前中に1度面会されますか、と看護師さんから聞かれたので
その場で面会をさせてもらいました。
返事もままならないほど衰弱していた母でしたが
私が何度か声をかけると少しずつ意識が戻ったようで
コロナのため、厳重に医師の許可なしでの面会を許してもらえず
なかなか顔を見せられなかったこと
痛みや苦しみをとってあげられないことを一言ごめんねと伝えたあと
今支えてくれているたくさんの人たちの話や
今後変えていきたい自分の生活などを話し
お母さん、ここまで頑張ってくれてありがとう
もう、私大丈夫だからねと
ずっと2人で過ごしてきたことの感謝をたくさん伝えて
母の額や手、苦しそうな胸を何度も撫でました。
どんな姿でも、母は私にとって美しく、とても愛おしいのだと知った瞬間でした。
かけている言葉のどこからか、声が聞こえているだろう母が頷こうとしていることもわかり、目尻からすーっと涙が流れていました。
その涙を指で拭い、また明日くるね、というと
うん、と最後に大きく声を出して返事をしてくれました。
それが最後に聞いた母の声になりました。
短い入院生活で分かったことは
乳がん、そして転移していた子宮のがん細胞が大きかったこと
数年前に他の病院で見落とされていた下血の症状が、潰瘍性大腸炎の難病であったこと
その幾つもの病を背負っていても
母は最後まで気丈に振る舞い、入院前に私と暮らしているときは自ら立って動いていたことの凄さでした。
ちょっと早いなぁ、寂しいなぁと思います。
それでも母は、たくさんのものを私に残してくれました。
母と巡り会えて、母の娘でいられて良かったと思います。
良い門出を2人に見せられなかった分、これから少しでも心豊かな人生を送るようにして、父と母には空から見てもらえたらと今は思います。
たくさん制作することを、母と約束しました。
今は仕事を休んでいますが、今後はなにかできたらいいなと考えています。
また次のステップへ進めたら、ここに書いていきたいと思います。
長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。