それぞれの思い
子供の頃から同じデスクを使っていましたが、ようやく買い換えました。
ニトリさんの、組み立て式(笑)
以前に箪笥の組み立てをしたとき、かなり苦戦した記憶があったので、買ってからちょっと躊躇してたのですが、これは案外すんなりできました。
脇にキャリー式の引き出しがあります。
ペンチも自前のがいらない作りというのは、女性にも親切だなと思います。
ただ難点は、雑に組み立てると壊れやすい。笑
(経験談)
色々もやもやしてたので…なんと言うかまぁ、気分転換に。
少しスッキリしました。
高さも作業するのに丁度よく。いろんな事が捗りそうです。
最近は帰宅後でも、調べものや覚えることでいっぱいです。
コツコツやっていけたらなと思います。
さて、熊本地震から少し経ちました。
311の東北大地震も、春でしたね。
やっと寒い季節が終わって、多くの人が心を弾ませようとするこの時期に、二度も悲惨な震災が起きるなんて想像もつきませんでした。
私の職場での話を少し。
お会計などお客様と対面でやり取りするそのスペースに、気づくか気づかないかの、小さな募金箱があります。
少ないお釣を、そのまま投入して下さるお客様が増えました。
中には、お札を入れるお客様も。
先日、日本語がカタコトな、とある海外の女性がいらっしゃいました。
礼儀正しくとても綺麗なお客様で、会計含めいくつ かやり取りをさせて頂いた後にふと、にこっと笑いかけてくれたと思うと、お札を募金箱に入れて、そのままお店を出ていきました。
なんかちょっと、胸にぐっとくるものがありまして。私も笑いかけて、彼女の去り際にお礼を言いました。
私も被災地に関わりのあるわけではないので、当事者ぶるつもりもないですが、温かく感じる募金というのは本当に多いです。
その用途や対応についてはともかくとして。
被災地から離れていても、みんなで応援してるよって伝わることが大事なんだなと、改めて感じました。
それを偽善というには、ちょっとあまりにも違う気もしますし。
人によって方法は様々なので、なんとも言えませんが。
私には私のできることを、私なりに出来たらと思います。
それでは今回はこの辺で。
希望と不安と。
展覧会に向けて、考えているデザインの一部です。
個人的には、これを採用するかはわかりませんが(笑)
他にも新しいキットを注文したりして、新たに作りはじめています。
先月は長屋さんの個展や、ミレージャギャラリーで出会った作家さんの言葉で沢山励まされ、まずは自分のデザインを考えようと奮起する一方で
友人がどんどん仕事で活動の幅が広がっていくのを見ては、焦りもあって。
追い付くというのはできなくても、せめて同じくらい頑張れたらと
そんな比べられもしない部分で、勝手に自分を推し量って。
これまでの自分の中に圧し殺してきた、後悔なんかも滲み出てきたりして。
お腹が痛くなる毎日です(笑)
仕事でも、急にこれまでのキャリアが不安になってしまい。
何かを変えなくてはいけないような、衝動感で掻き立てられ。
一晩中何かしら調べ物や作業をして、気を紛らわしていました。
もちろん、いろんな面で節目を迎えてるのは事実だし、変えるべきことも沢山あるのだと思うのですが
何が一番不安かって、これから自分のしたいこと=収入ではないからです。
細かいことを言えば他にも色々あります。
答えが見えないというのはこんなにも、気持ちに霧がかかっているんだなぁと。
焦らず向き合うしかないのですよね。
他でもない自分自身と。
とりあえず明日も頑張ろう。
悩む
本当、今さらなんですけど。
パソコンを購入しました。
立ち上げて2週間ほどというのもあって、まだネットで調べものをしたり、画像の印刷くらいしか使えていません(^^;
ずいぶん前から使っているピクサスの複合プリンターから加工アプリも同時にインストールされ、
もともとこのパソコンにも入っている加工アプリもあるので、写真にしろイラストにしろ、また違った雰囲気をこれから楽しめそうです。
ロック画面もデスクトップもブルーノさんにして、開く度にテンションを上げています(笑)
ここしばらくは、彫紙アートの新しいデザインを考えています。
まだ彫ることでの見せ方や、効果を把握しきれていないので、以前の自分が描いていたような作品を、どうにか面白く見せられないかと奮闘しています。
いろんな人の感性を盗みたいし、刺激も受けたい。
気づけば深夜までアイデアを探したり描いたり悩んだり。
つい寝不足になりがちです。
これはデザイン画に悩んでた最中に息抜きで彫ったもの。
本屋でも販売しているテキストから抜粋。
描いて何かが、少しでも見えればいいな。
それでは、お休みなさい。
What meaning is satisfaction.
先日、ミレージャギャラリーさんへお邪魔した時のこと。
グループ展ではありましたが、初めて展示という経験をさせて頂いたという意味でも、ミレージャさんは今でも大切な場所です。
あれから早くも5年が経ちました。
久しぶりの訪問に、大城さんご夫婦は驚きながらも、変わらず笑顔で受け入れて下さいました。
作品と呼べるものが描けなくなっていたこの期間、いつかはまたフリーで活動できることを願っては、その時が来たら必ず、ミレージャギャラリーさんへ足を運ぼうと決めていました。
大袈裟かもしれません。
でも当時はそれが自分を支える僅かな願いの一つでした。
彫紙アートは変わらず、自分の下絵デザインが決められないままです(^^;
行き詰まっていても仕方ないので、気に入った他のデザイナーさんの下絵を彫る日々です。
それでも、不思議と彫るのが純粋に楽しくて、気づけば寝る時間を惜しんで作業をする日もあります。
デザインの引き出し、そして制作に対しても、自分は本当に未熟だと思い知らさせる中で
落ち込むと同時に楽しんでる自分がいて、妙な感覚です。
充実感、と言えばそれに似ているような気はします。
自分の考えたデザインで制作できるようになれたら、どんなに楽しいかと、今はそればかり考えています。
願っては形にして、また願っては形にして。
それでも満ち足りることはないのかもしれないと、最近ふと思います。
画廊巡り
先週の土曜日に、切り絵作家としてご活躍されている
長屋明さんのギャラリーへ足を運びました。
以前、とある番組で長屋さんの作品を拝見した時
工作で使うようなごく普通のカッターで、信じられないような繊細で細かい作品を作られていることに驚き、強烈なインパクトがあったことを今でも覚えています。
それからまた、ふとしたきっかけで個展があることを知り、休みがちょうど重なってたので嬉々として茗荷谷へ向かったのでした。
このときの私は、まさかご本人が在廊されてることなんて全く想定せずに、ただ作品を見ることだけを考えていました。
ギャラリーといっても、もとはご本人の事務所だというOKGギャラリーは、一見普通の住宅の並びにあるため、この場所を知らない人は思わず通りすぎてしまいそうです。
(誰ってそれは私のことなんですけど)
おそるおそる入ると、事務所の人がにこやかに挨拶してくれまして。
私「初めて来たんですけど、は、入って大丈夫ですか?」
「もちろんですよ、どうぞどうぞ(^^)」
中では私含め、数人のお客様が作品を眺めていました。
作品を見てたら、長屋さんご本人から挨拶をして下さいました。
「こんにちは~(^^)」
私「(びくっ)←驚
こ、こんにちは」
「初めてのかたですよね?」
私「は、はい」
「どうぞゆっくり見ていって下さい~(^^)」
長屋さんとはその後、個展を知ったきっかけや、切り絵の話でしばし談笑させて頂きました。
切り絵を始めて20年のキャリアを持つという長屋さん。
これだけ繊細な作品を作る技術を持ちながらも、ご本人はとても気さくな方でした。
緊張で噛みまくりの私に対しても、にこやかに色々話してくれて、その話からも得るものがとても沢山ありました。
このポストカードにあるサックスの作品が、以前テレビで紹介されたものでした。
繊細な作品を、繊細な作業で作り続けること。
そして作り続けることで積み重ねられていく技術と年月。
長屋さんの言葉で、いまの自分にすごくしっくりきたことが
「つらいと感じながら続けるよりも、楽しいこと、好きなことをして心を豊かにしていたほうがいい」。
なんだろう、このずっしりと感じる重みは(笑)
絵をかくこと、作品をつくること。
それだけで、日常で一見マイナスに見えることも、全く違った見え方になります。
そして長屋さんは、実際に目の前で作品を切っているところも見せてくれました。
(いろんな意味でこれが一番緊張しました)
最後まで笑いかけてくれ、本当に優しい対応をして下さいました。
もう胸もいっぱいになってギャラリーを後にしまして、このあとは別の画廊へ向かいました。
(長くなるのでこの先はまた次回に)
これからの制作に、とっても良いエネルギーをもらいました。
ぜひまた別な展示会でもお会いできたらと思います。
作品の下絵、頑張ろう。
一呼吸。
今日はプリンターのメンテナンスをしつつ、新しい作品のアイデア散策に本屋へ。
といっても自宅から車で10分ほどの距離で(笑)
ここしばらくは、退屈さを感じる程度に緩やかな雰囲気だった仕事が急激に忙しくなり、休日は思考も体力もバッテリー切れのような状態。
泥のように眠る日が続き、かと思うと急に眠れない夜があったりと、なかなか割りと病んでるようです(笑)
作品づくりも、私生活そのものも、アウトプットとインプットのバランスがなかなか保てません。
疲れて思い通りにならないときこそ、小さなことを一つ一つ丁寧にやる必要があるようです。
写真の本は、作品の参考がてら購入したものです。
紙のアートは、彫紙アートに限らず様々な表現を学びたいと考えています。
私はリアル系の作品ばかり描いてきたので、グラフィック性の強い彫紙アートでは、もっともっとデザインの引き出しが必要になります。
今週末はずっと行きたかった切り絵作家の方の展示にも足を運ぶ予定です。わくわく。
切り絵の表現そのものも、改めて色んな手法の人の本を眺めるようになりました。
切り絵に限らず、様々な方向から全く別な表現で世界観を魅せられる紙というのは、本当に素晴らしいものだなと、改めて思います。
いつか紙の専門店でたくさんの紙を眺めて、その場でもうスーハースーハーしたい…………!
(良い子は本当にやってはいけません)
週末までまた仕事も頑張らないと。
小さな実感
彫紙アートの資格講座が終わりました。
写真の中央は、最後に作ったタンブラー。
私自身のことで言えば、ここからはデザイナーあるいはアーティストの下積み期間となります。
資格の上としてはインストラクターの道もあります。
まずは技術をもっとつけてから、ゆくゆくその選択肢を視野に入れられたらとも思います。
今日は授業の最終日だったのですが、偶然にもベテランのインストラクターやデザイナーの方々の集まりに混じることができ、大きな発見もありました。
彫紙アートという、切り絵の中でも独自性のあるこの世界は、アートを知らない人から見れば、まだまだ知られていないことも多い世界です。
そもそも、イラストレーターやアーティスト、デザイナーという名前だけでも漠然とした中で、
「イラストレーター(絵を描く人)」と「デザイナー」の違いも世間の人から見たら曖昧だったりします。
私は自分の作品が、より良いものにしたいのと
沢山いるアーティストの中で、自分も何かしら活動をしていきたいという、これまた漠然とした気持ちでいました。
友人にその話をしたところで、そもそも彫紙アートという言葉にピンとこないというのは、わかっていました。
ならばそれを自分が表現すればいいと、甘く見ていました。
今日集まった人たちは、もっと世間に彫紙アートを知ってもらおうと、日々奮闘している人たちで、その気持ちの熱といったらもう。
でも改めて、そういうことなんだと分かりました。
彫紙アートを知られていない中で、そのデザイナーの活動をしていくというのは、あまりに不透明すぎるんだと。
その人たちの努力のおかげで、近年はテレビ番組で取り上げられるまでになりましたが、やはり継続して作品を作り続けるのは僅かな人たちで
そのわずかな人の力で、新たに技術を伝えていく。
正直、そういうのを胡散臭いと思う人も少なくないと思います。
それほどお金にならないアートで、なんの意味があるの?と。
そんな私も、SNSで実業家のセミナーの広告を見ると、同じ気持ちになりました。
形はだいぶ違いますけど、認知がされていないから、信頼性や感動が薄いという意味で似ています。
新しいことを始めるって、そういうものなんだなって。
そうなれば、やっぱりこの世界はやりがいがあるはずなんだなと。
とても深い世界観を見られた1日でした。
最後に。
自分のオリジナルの作品を描くなら、サインを考えなさいと言われて
何度かここでも書いたサインを見せたら、先生からやんわりダメ出しをされました(笑)
確かにあれでは、突っ込みどころ満載。
先生にアドバイスをしてもらって、練り直し。
これが自分の中で定着するといいのですが。
マニアックな上に長文な記事になりました(笑)
明日も頑張ろう。