泡沫の記憶 2
いろいろ出てきたことを忘れないうちに笑。
アクリルの混ざっていく変化がとても綺麗だったので、感覚的な線画として、ひとつ残すことに。
これを紙で起こせれば良いのですが、作品として成り立つかは、やってみないとわかりません。
まさに未知の体験。
こういった抽象的に近い表現をすることは今までなかったことなのですが、さきほどの記事に書いた、ひとつの出会いがきっかけでもあります。
制作や自己の向き合い方に苦しさを覚えていた私に、同じ教室にいた人が、自分の内面と向き合う「表現アートセラピー」の体験があることを教えてくれました。
アートセラピーという言葉は、いろんなメディアからも聞いたことがありましたが、自分がいざ体験するとなると、今ひとつピンとは来ませんでした。
そんな中で、体験前にたまたま主催されている人の著書を読んでみて。
その人の言う、表現アートセラピーとは
言葉にははっきりとできない、混沌とした部分を引き出し、絵や形にすることで視覚化して、自分が気づかなかった部分にも目を向ける、というものでした。
実際に体験を受けると、絵は何一つ難しい技法もなく
絵を描くというよりは、描くことで体を使って思いを実感する、というほうが正しい気がします。
自分の中で、自然と湧いてくるものを外に押し出してあげるということは、こんなにも体が軽くなれることなんだとを改めて感じて。
良いものを作ろう、誰かに見てもらいたいということが、知らずに湧いていた自分の内面から、少し離れていたことにも気づきました。
そもそも、自分の中にそういう「湧いてくる何か」があったことにも気づきませんでした。
今年の2月頃
私にとって、これまで見えていると思っていた自分というものが一気に覆る出来事があって
自分が知らずに生きづらい、苦しいと思いながら日々生活していたものの根本を知って。
自分にとって絵を描くことは、外と繋がることが目的ではなく
もしかしたら自分を見つけるためのものだったのかなと、今は思います。
あのアクリルの表現は、続けていけたらいいな。
自分の内面を表現することは、外から見たら自己満足に近いのかも知れません。
表現したいことと、自分のエゴの形は紙一重だったりもして、とても境目が難しいところでもあります。
それでも私が日々触れてきた音や色や表情は、その深い深い部分で、色々な世界ときちんと繋がれることを教えてくれました。
いつか私もそうなれたらいいな。
そう思って今は制作できたらと思います。
明日も、心地よく生きられますように。
それでは、この辺で。