神保町へ
だいぶ今更という感じですが、紙の見本店である竹尾さんへ足を運びました。
画材屋さんで見るより、はるかに色味も材質もあって、なかには紙に見えないものまで。
とても面白かったです。
授業の前の合間で言ったので、あまり時間はありませんでしたが、それでも楽しく見れました。
見ながら、次の作品のヒントになったり。
2階はショウルームになっていて、今回は紙とLED電気が組み合わせた展示になっていました。
銀ナノインクという、とても小さい銀の粒子が含まれたインクを印刷することで、取り付けられた小さな電球へ電気が送れるようになります。
電気を通す回路を作るための作業行程で、溶接などを行うエッチングに比べて費用も大幅に下げられ、また用途がとても幅広いため、工学に限らずあらゆる分野で取り入れられる技術になっているとのことです。
これは私の見解かも知れませんが、紙を扱うデザインは、時に光の加減を味方につけたくなります。
切り絵にバックライトを当てて影絵に見えるようにするやり方など、様々なクラフト作家さんが光をテーマに制作をしてきたと思います。
その中でも、この技術はとても興味深いものがありました。
実際、展示されていた方達のアイデアも、すごく共感できる部分があったり。
切り絵をスタンド状の立体にして、ライトアップっぽくしたり。
(やっぱりそこは外せないですよねー、みたいな。笑)
この銀ナノインクが印刷できるものである以上、絵を描くように自由に形を選べるところも、魅力的です。
上の写真からは見えませんが、紙に蛍がいて、おしりの部分が光るようなデザインになってる作品がありました。
この季節にもぴったりで、なんかグッとくるものがあったり。
……… 今さらだけどオリンパス持っていけばよかった〇| ̄|_
そしてそのまま新宿へ。
制作も、終盤へと入っています。
あとはやりきるだけなのですが、これもなかなか苦しいところ。
山場を越えたあとの疲労感というのでしょうか(笑)
数ヶ月単位で一つの作品を作るということ自体が初めてなので(アイデア出しから考えれば半年………)、まさに生みの苦しみというのはこれなのかなと。
早く終わって欲しいような、終わって欲しくないような。
難しいところかな、と。笑
とりあえずは、進めるべきことを、一つ一つ。
どうか、無事に完成しますように。
人生を考える。
先月のことになるのですが、上野で行われた「ブータン展」に行ってきました。
ブータンと言えば、2011年にワンチュク国王がご夫妻で来日されたことも、まだ記憶に新しいですね。
名前の通りにブータンの文化にちなんで、民族衣装や美術品、ブータン国の人々の暮らしについての事が奥深く展示されていました。
ハコニワさんというブログで、とても詳しく書かれています。
心が穏やかになる、とても素敵な展示でした。
私が特に足を止めて長いこと眺めたのは、織物による作品でした。
ハコニワさんからのブログでも分かるように、決め細やかで、彩り豊かで。
女性の生業とするものだからなのか、大変な作業だからこそ伝わってくる、職人さんの思いとか。
そんなことを感じながら一つ一つ丁寧に見ていました。
この展示をプロデュースした松尾たいこさんも、好きなイラストレーターさんの一人なのですが、だからなのか、ブータン国の格言と挙げ方なども含めてインスパイアされる部分がすごくありました。
自分にとっての「幸せ」ってなんだろう。
この展示を見てから、そういったことをよく考えるようになりました。
というのは、やっぱり私自身も今、制作という自分のための時間ができて、それが幸せだと思えるからなんだなと。
でもそれだけではなくて、それ以外の部分で_____例えば仕事や生活水準や、自分の能力のコンプレックスで、今の自分をどう受け止めたらいいのかを、考えるようになりました。
答えはまぁ、ゆっくり自ずと見えてきて。
一つは、周りと比べない。
もう一つは、自分が幸せかどうかは、「今この場で出来ること」あるかどうか。それによって変わるということ。
そして最後の一つは、どこかで必ず助けてくれる人はいるということ。
望んだ時に、望んだ言葉や形でなくても、コツコツやってきたことは必ず誰かが見てくれています。
どうしてか今年は、そういったことを感じることが多いです。
その一方で、自分の身に起きる「良いこと」の質が上がる分、その反対がグレードアップするというこも学びました(笑)
だから、そういうときは少しだけ周りに助けを求めることも必要なんだな、と。
「幸せ」の輪郭を思い浮かべた時に、自分はなんて無力なのだろうと思います。
もっと収入があれぱ、年老いた母を養ってあげられるのにな、とか
もっと気配りができれば、周りを助けることができるのになとか。
いつも自分がいい状態でいることばかりに精一杯で、身近な人にすら安心をさせてあげられない。
だけれど多分これでも私自身、少しずつ進歩している方なんだなと、改めて思います。
一年前、2年前、それよりもっと前……私は今の健康と生活力さえ満たしていませんでした。
多分きっと、仕事で良い後輩が入ったり、悩み事を一から見直したり、色々な面でリセット期間なのかも知れません。
まぁこれを書いている現在こそ、制作からの現実逃避以外の何でもありませんが(笑)
少し休んだら、また作業に戻ります。
煩悩と行動の追いかけっこ
少し間が空きました。
お久しぶりです(安定の挨拶)。
気づいたら8月の暦が半分以下となり、9月に入るというのに展示の手続きを何一つしていない私です。
10月。なぜか仕事でも何かと行事があったり、プライベートでも面倒な手続きがあったりで、もう頭はパンク寸前です。
現実逃避したらもう戻れないかもしれない勢いです。
あと一ヶ月後には、終わりが見えてる(はずの)作品。
花の部分のアップ。
この道のベテランさんから見たら、とてもじゃないけど恥ずかしくて仕方ないくらいです。
まぁでも、そこは一歩一歩ということで。
こう、積み重ねていく作業というのは、どうしても合間に色んなことを考えてしまいます。
考えては手を動かして。
時には自分らしからぬ考えが思い付いたり。
とにかく今は、「全てなるようになる」ということにしようと思います(笑)
描くということへの、感謝。
先日、頼まれていた桜の作品を友人へと送りました。
前回での記事にのせた写真の桜は、独断で却下したもの。でも処分するのは勿体なくて、名刺デザインに使いました。
結果的にはやっぱり、今回の夜桜のが好評でした。
フレームに入れたもの(at友人宅)。
友人は、届いたその時点ですぐに飾り、そのまま写真を撮ってくれたそうです。
ありがたや。
展示作品の制作ペースも落ち着き、油断はできないものの、ほんの少しだけ肩の力を抜きたいところ。
展示会当日は、ベテランさんたちも大勢いるとのことで。
経験が浅い自分なりに、少しでも真摯に作れたらなと、思います。
次回、載せられたら途中経過でも。
最近、仕事のとあるトラブルで、ごっそりメンタルを持っていかれてしまいました。
自分のミスやクレームなら、何度でも挽回しようと奮起するのですが
半年くらい前?からでしょうか。
陰湿なお客様からの嫌がらせに、ぐるぐる考えを巡らせてしまい。
上に助けを求めるのもためらわれ、ずいぶん悩みましたが、そうも言っていられない状況になり。
周りを頼る、甘えるというのが大の苦手な私には、本当に屈辱的です。
一刻も早く落ち着くことを願っています。
悔しくて、悔しくて。
これまでもいろんな場面で、最悪な選択というものが頭をよぎることも沢山ありました。
それでも最後に救われたのは、絵を描くという表現があったからだなと、今になって思います。
そんなのは理由にならないけれど、それでも多分きっと、この描くということを失ったままだったら、今私はここにいないと思うのです。
そして今は、ささやかだけれど応援してくれてる人がいて。
当たり障りのない励ましでも、それすら今は本当に。ありがたいのです。
彫紙アート、そして先生方に出会えたことに感謝しています。
柱
よりかかれるものがあった時は、多分これからの自分より得るものが少なかったとても
どこかで今より幸福だったんだろうと
よくも悪くも。
結局は全て同じ。
もう、ここが潮時なのかもしれない。
じたばた
名刺入れを買いました。
自分の作品に取りかかり始めた途端に、早くも作品の取り組みや、技術の感覚が全く変わって見えてきました。
多少ついたかな?と思える技術でも、紙の枚数が普段の倍以上になっただけでもう、四苦八苦。
あたふたするたびに、先生に助言を求めようとするヘタレっぷりです(^^;
楽しくて仕方ないから、ついつい熱が入ってしまうけれど
視界が広がる分、欲もどんどん出てしまい。
その一方で、まだまだ自分はこんなもんなんだなーと、再確認しつつ。
あとやっぱり何気に、6年近くのブランクは大きいなと(笑)
これから、どれだけ描けば少しは変われるとだろうか?と、改めて長い道のりを感じています。
頑張って周りに少しでも追いつこうとしても
追いつこうとする人たちもまた、やっぱり進んでいるもので。
至極当然のことなのですが(苦笑)。
とにかく一枚でも、一つでも次へと進めますように。
それでは、お休みなさい。
切なさ。
こんばんは。
もう目覚めてから寝るまでついつい作品のことを考えている花藤です。
今、ようやく展示候補作品に本腰を入れてますが、ついうっかり新しいアイデアが思い浮かんでしまっているところです。
最近はアイデア整理に、記録をパソコンで残したりします。
愛用のラヴィちゃんとも、だんだん距離が縮まってきたような気がする花藤です。
最近は仕事でのモチベーションも戻り、周りの人と円滑に関係を保てている気がしています。
制作への熱意は上がる一方で、それに追い付けない自分の技術が本当に悔しいです。
私は、自分の気持ちをうまく隠すということが苦手です。
オブラートに包むとか、そういうのも下手です。
頑張っても思ってることは分かるような雰囲気を出してしまいます。
これでも社交辞令というものは、色々学んできたつもりですが(笑)
だけど結局、絵だって仕事だって、頑張っていれば結果は出したいと思うのが私です。
選抜という形式ではなく、作品という一つの姿で。
それはどうやら、先生にもバレているらしく(笑)
技術の未熟さ、考えの幼さ、メンタルの弱さ、経験の少なさ。
考えるほど切ない感覚です。
逆に今だからこそ、今しか楽しめないことも沢山あるわけなのですが。
難しいですね。
駆け上がろうとするほど、向かい風を強く感じるものなのかもしれません。
明日は休み。
どんな絵を描こうかな。