Decembersnow19

好きなものを描いたり載せたり。 2015年から彫紙アートの作品を作っています。FBやTwitterやっています。絵描きさん、作家さんからのコンタクトもお待ちしています。

泡沫の記憶 2

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いろいろ出てきたことを忘れないうちに笑。


アクリルの混ざっていく変化がとても綺麗だったので、感覚的な線画として、ひとつ残すことに。

これを紙で起こせれば良いのですが、作品として成り立つかは、やってみないとわかりません。

まさに未知の体験。


こういった抽象的に近い表現をすることは今までなかったことなのですが、さきほどの記事に書いた、ひとつの出会いがきっかけでもあります。

制作や自己の向き合い方に苦しさを覚えていた私に、同じ教室にいた人が、自分の内面と向き合う「表現アートセラピー」の体験があることを教えてくれました。


アートセラピーという言葉は、いろんなメディアからも聞いたことがありましたが、自分がいざ体験するとなると、今ひとつピンとは来ませんでした。

そんな中で、体験前にたまたま主催されている人の著書を読んでみて。
その人の言う、表現アートセラピーとは
言葉にははっきりとできない、混沌とした部分を引き出し、絵や形にすることで視覚化して、自分が気づかなかった部分にも目を向ける、というものでした。


実際に体験を受けると、絵は何一つ難しい技法もなく
絵を描くというよりは、描くことで体を使って思いを実感する、というほうが正しい気がします。


自分の中で、自然と湧いてくるものを外に押し出してあげるということは、こんなにも体が軽くなれることなんだとを改めて感じて。


良いものを作ろう、誰かに見てもらいたいということが、知らずに湧いていた自分の内面から、少し離れていたことにも気づきました。

そもそも、自分の中にそういう「湧いてくる何か」があったことにも気づきませんでした。


今年の2月頃

私にとって、これまで見えていると思っていた自分というものが一気に覆る出来事があって

自分が知らずに生きづらい、苦しいと思いながら日々生活していたものの根本を知って。


自分にとって絵を描くことは、外と繋がることが目的ではなく
もしかしたら自分を見つけるためのものだったのかなと、今は思います。


あのアクリルの表現は、続けていけたらいいな。


自分の内面を表現することは、外から見たら自己満足に近いのかも知れません。


表現したいことと、自分のエゴの形は紙一重だったりもして、とても境目が難しいところでもあります。


それでも私が日々触れてきた音や色や表情は、その深い深い部分で、色々な世界ときちんと繋がれることを教えてくれました。


いつか私もそうなれたらいいな。
そう思って今は制作できたらと思います。

明日も、心地よく生きられますように。


それでは、この辺で。

泡沫の記憶

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10月ですね。
夏が終わったというのに、度重なる台風とその湿度で暑い日に振り回されています。

そうです。夏が終わったというのに、久しぶりの更新です。
(もう何も言えないので、このまま行きます。笑)


この3ヶ月間のことを強いて言うなら、通っていた教室が終わったことと、腰のヘルニアが突然再発して悶絶したことと、長年連れ添った愛猫とのお別れがあったことくらいで、気持ちとしては少し暗い地下のような場所で過ごしていました。
あと過食気味だったためか、すごく体重が増えました。(悲しい……)


筆も割と長期間でストップしてしまい、一度は今秋の会員展の参加を諦めていました。


過呼吸とか肋間神経痛もぶり返して、混沌とした時間を過ごしていた時、ふと

このままだと地上へ上がれないことを察した私は、気づいたら秋の会員展を申し込んでいました。
出せなくても、とりあえず申し込んじゃえ!みたいな笑。

不思議なもので、勤勉に日々描いていなくても
やっぱり展示がある、となると
とても良い表現の作家さんたちに出会ったりするものです。

それで、あれよあれよと元気をもらってここまできました。


上のアクリル画は、その中で出会った作家さんに刺激されたものです。



このアクリル画を書く前も、ある良い出会いがあって。

その場所で、「思うままに描く」ということを改めて見つめ直すきっかけをもらいました。


その話はまた近いうちに。


今日はまた、しばし制作に入ります。

夢の続きを、今も。

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春の市民展が終わり、ようやく気持ち的にも落ち着きを取り戻した今日この頃。


今年は紙に一部、立体部分をつけました。
写真は完成直前のものです。

この市民展では光栄なことに、小さくはありますが、賞をひとつ頂きました。


今年は様々な形でも作品づくりにはかなり悩んだので、純粋にとてもとても嬉しかったです。例え、幼い作品であっても。


この作品を作り終えたことをきっかけに
改めて自分と向き合うことが増えました。


そして今後、下半期はゆったり制作しつつも、もっとより深く自分の中のものを引き出せたらと思います。


過去に思い描いていたこと
ある日見た不思議な夢たち
関わってきた人たちの言葉一つ一つ

色々なことが結び目のように繋がり初めています。

おそらくきっと、これほどまでに意味があると思える瞬間を過ごせたことは、私の人生の中でも数少なかったことだと思います。

それがきちんと形になったとき、今とは全く違うものが表現できるのだと思います。



新しい一歩として、またここで節目を迎えられたような気がしています。



さて。



作品づくりも少し余白ができたので

少しばかり溜まっている更新内容を、また書き出せたらと思います。
予定ですが、あくまでも笑。


気づけば夏が来ていました。

夏バテに気をつけたいところですね。

それではこの辺で。

Before tomorrow comes

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とてもお久しぶりです。
3ヶ月ちょっとの間が空きました。

2月から、同じ教室に通う生徒さんの展示や、何度かお会いした川崎さんの展示など、作品にまつわる動きが増えました。

春の市民展の準備も相まって、バタバタの時期です。

そして、何より職場が過去最悪な人員不足となり、こちらも一気にハードな日常に。


それはそれは、もう言葉にならない忙しさです(笑)


合間に、友人たちとのご飯やお出かけもあったりで、なんとかエンストせずにここまで来れています。



これだけの動きの多い時期なので、私自身の気持ちの巡りも、とても目まぐるしいです。


Twitterを覗くと、その内容も顕著に出てるのではないかと思われます(笑)


Twitterの方は……作品以外のことも日頃沢山つぶやいてるので、変わらず統一性のない内容です。
日々、何かしらマニアックなことを書いてるのは確かです。


2月は、ちょうど最後の記事を書いた頃でしょうか。

ふとしたきっかけで、意図せずこれまでの自分の内面を、一気に外側へ引っ張り出すような出来事がありました。


作品、そして日常においての、人との関わり方への見え方が変わるような。

でも私自身から生まれるものといえば、とくに変化もなく、今までとまた違ったもどかしさがあります。


6月もまた変化のある月なので、このまま自然と、色んなことに向き合っていけたらと思います。



思えばこのブログでも、色々な思いをその都度に書いてきましたが
いろんなものを、自分が思っている以上に省いて、綺麗に見えるものだけを残してきたように思います。

隠しているわけではなくて、それ以上を伝える術というものから逃げてきていました。

それで出来上がる作品や自分自身というのは、確かにあるけれど


それだけでは成り立たない部分もあることを、今になって知り始めている気がします。


そこは、バランスが難しいところですが。


いい方へ変わっていけたら良いなと思います。

作品も、私自身も。


それでは、今回はこの辺で。

小さな欠片を集めて

1月の末頃に友人と
上野にある田畑硝子工房でアクセサリーを作りに行きました。


http://tabataglass.tokyo/



もともとは浅草あたりに行きたいと話していたのですが
たまにはモノづくりもいいかなと思い、体験を申し込みました。


2k540という通路を渡り歩くと、様々な雑貨屋さんがあります。


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末広町駅のほうに近い入り口のそばに、田畑硝子工房があります。


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なかに入り、体験の先生と挨拶をそこそこに、アクセサリーを作り始めます。


体験のコースによって作れるものが違い、私たちはネックレスのトップにしました。



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作業台がこちら。


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沢山の硝子のかけらたち。

いろんな色で鮮やかな、そして光に反射してキラキラな空間でした。



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直径2センチほどのプラ板のような素材に、硝子をのせます。


これがね。意外にもね。


プラスチックのツルツルで硝子がすぐこぼれてしまったり、欠片の形が思うように噛み合わなかったり。

シンプルですが、とても繊細な作業でした。

なるべく沢山硝子をのせたい私が欲張りなのかもしれませんが…(笑)



体験が終わり、後日に焼成してもらい、郵送で完成品が届きます。



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出来上がりも綺麗。



これからつけるのが楽しみです。



体験できる作品も色々あるので、また違うものを作りに行きたいです。



紙とは違う作品を作るのも、なんだか良いかもしれないなぁ。


紙と言えば。


最近では活版印刷というものが気になっていて。


大人の科学マガジンという雑誌の付録ある、小さな活版印刷機がどうしても欲しくて(笑)


とうとう購入しました。


少しずつですが、試し刷りしています。


そのお話は、また次回に。

迎春

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遅ればせながら明けましておめでとうございます。


昨年(とくに12月)は忙しかった……。

年末イベントをフルで出たのは、もしかしたら初めてだったかも知れません。


そして空いた時間では年賀状印刷のための制作でした。


戌年なので、昔飼っていた愛犬を描こうと今年は決めていました。


が、帰宅後はぐったりすることが多く
思うように進まず、完成と印刷で仕上がったのは何と一昨日。

急いで挨拶文を書き足し、そのままポストへと投函する状態でした。


ふぅ。


その上、描く前は水彩と彫紙のどっちも作りたくて、そんな状況にも関わらず2つ作ろうかと無謀なことをしていました(笑)

時間に追われていることを心配したスクールの先生が、
犬のところだけ水彩にしたら?という一言で


なるほど!と納得し、この状態になりました。



結果、同じ労力には変わりませんでしたが(笑)


彫紙の部分と、平面作品が意外にも合うんだなと分かったことは、いい経験値になったと思います。



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もっと水彩部分をしっかり描き込んで、周りを豪華にしたら映えそうですね。



この作品で初めて透明水彩を使いました。

ずっと不透明か半透明の絵の具でしたが、透明水彩のにじみもすごく心地よくて、しばらく使えたらなと思います。


表現によっては、鉛筆の下書き線とも合うし。

このワンちゃんは下書き線を残しすぎですが…(笑)



迎える春と書いて、迎春。


まだまだ寒い日が続きますが、沢山の人のもとに

暖かい春が来ますように。




今年もよろしくお願いします。

12月25日の過ごし方。

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今年は日曜がクリスマスイブでしたね。

皆さんは素敵なクリスマスを過ごせたでしょうか?


私はがっつり仕事してました(笑)


お客様でも楽しそうな方々を見ながらのこの数日、ある時から12月25日という日の過ごし方が少し苦手になっていました。


写真も、クリスマスらしい写真がないので
少し前に友人と行ったスタバで見つけた、クリスマスカラーのフレーバーで、せめてそれっぽく(笑)


25日がどうのって言うと、恋人がいるいないで過ごし方が変わるみたいな話もあると思うのですが


まぁそれもなくはないです。


でもそれ以上に私には、埋めきれない穴がこの日にはありました。


クリエイティブな話にはほど遠いので、
今回興味をそそられない方はこのまま読まずに通り抜けて下さい。


クリスマスでの、私の父のことです。


私の父は、私が23歳の時に癌になりました。

ステージ3の胃癌でした。
 
癌細胞の切除の手術を含めて約一年ほど、抗がん剤治療などの闘病生活をしました。


手術から退院、そして自宅での療養と通院。


そして主治医から、「癌細胞がなくなったようなので、もう薬も卒業しましょう」と言われたのが、8年前の12月25日でした。
父にとっては
吐き気などの副作用と闘う、長い長い一年あまりの生活でした。


その日は家族とお祝いだねって話して。
小さな小さなケーキだけど一つだけ買って、楽しく過ごしました。


副作用で痩せてしまった父は、時々咳き込むようになり、猛々しいほどの生命力を感じる仕事人間だった時の面影もなくなっていました。

その代わりにこれまで言わなかったような、母の料理が美味しいと、母へ感謝の言葉を素直に言える優しさを持つようになりました。



その日のクリスマスも、変わらずに母の作るご飯を喜んで食べていました。

確か、好物のポテトサラダにはしゃいでいたような(笑)



のんびり年越しして、私が25歳になる誕生日が目前となったある日、突然父は倒れ、救急車で運ばれた後でそのまま帰らぬ人となりました。


クリスマスから10日後のことでした。


皮肉にも、本当に皮肉なことにも。


抗がん剤の副作用による間質性肺炎が原因でした。




25日の喜びと幸せを全て裏切られたような気がして。


その翌年から私はクリスマスが嫌いになりました。


もちろん父を蝕んだ癌も、抗がん剤を与えた医師ですらも、そして何よりも。


咳き込む父に病院につれていこうとすると、父は頑なに拒みました。


父なりに再発を怖がっていたのだと思います。
風邪とは違う、何か違和感のある咳だったと、気づいていたのでしょう。


それを横で見ながら、気づいてあげられなかった自分。
父の恐怖感から助けてあげられなかった自分。


間質性肺炎は、突発性と進行が恐ろしく早いと医師や、看護の仕事をしている従兄妹も話していて、このことはきっと誰も止められなかったとも言ってましたが、それでも私は自分を許せませんでした。


嫌いなクリスマスが来るたびに、仕事で全てを忘れるように過ごしてきました。


キラキラしたツリーやイルミネーションや飾りを見ると、離れた対岸から見るような気持ちでした。


そんなこんなで、七回忌も終えた今年。



どうしてかこのモヤモヤが一段と強かった今年のクリスマス。


彫紙アートで繋がっている、他校の先生のブログのある記事に目が止まりました。



その先生が彫紙を始めた時、癌で療養中のお父様がいたという内容と

先生のお父様が亡くなられた時も、私と同じような気持ちで彫紙の先生や作品づくりに救われたという内容でした。


読みながら、自然と涙が出ていました。


気づいたらその先生へメッセージを送っていました。


最後に家族と過ごしたクリスマス
亡くなった父のこと
それが自分の誕生日に近かったこと

その先生の記事で、どこか自分も救われたような気がしたのです。



丁寧なお礼文の中に、先生から「つらかったよね」という文字を見て、


ずっと誰にも言えない気持ちだったんだなと、やっとその時にわかりました。


8年間、私はずっとずっと自分を責めてきました。


嫌いなこの日に、先生の記事と巡り会えたこと。

都合のいい考えかもしれないけれど

父ももう良いんだよ、と言ってくれたような気がしたんです。



今でも父の気配を感じることがあって。


私のせいなのかなと、やはりその都度思うこともあって。


だからこの出来事は、表向きはただの偶然でも、私にとっては大事なことのような気がするんです。




うまくは言えない、書けないけれど

一つ自分の区切りをつける時がきたのかなと。




そういう意味でも、忘れずにいたくてここへ書きました。



大切な人と過ごしたい一日が、沢山の人にとって幸せなものでありますように。




さて。
足を運んだ展示や、友人と遊んだ場所
描いてる年賀状のデザイン
まだまだ書くことは沢山です(笑)



今年のうちに更新できるのかな?私。



今後も順不同で、のんびり書いていきます(笑)


長くなりましたが、それではこの辺で。