ブログの移転先が決まりました
おはようございます。
ブログの移転がようやく完了しました!
ずいぶん長かったなぁ…
これでスッキリした気持ちで記事が書けます✨️
移転先はこちら↓↓↓
https://note.com/decembersnow20/n/n0024c9c7f325
実はDecembersnowは私の造語(12月の雪を単にくっつけただけですが)で、19は誕生日の数字からとっています。
12月の雪という言葉は、父が幼い頃に見せてくれた東北の雪の思い出からイメージが湧いてつけました。
ブログを始めたのも、父が亡くなった後に始めたのでした。
10年の節目を迎えて移転するにあたり、少し語呂を変えたのと
19から一歩進んで20という数字をあわせて
DecemberSnow 20とつけました。
新しい名前も気に入っています。
記事はまず、昨日から開催されている「デザインフェスタ57」の内容を書いています。
(記事上にある写真はツカナ制作所さんの作品の一部です)
楽しかったことや、久しぶりに感じた人の熱気などを書いています。魅力的な作家さんの作品もたっぷり載せていますので、良かったら覗いてみてください。
そしてここのブログは、あちらにはリンク付けしていないのですが
退会や削除はせずに、このまま残しておこうと思います。
沢山の思い入れもありますので、思うところが出たらまた更新するかも、です。
これからのメインはnoteさんで書いていきます。
それでは、はてなブログさんには大変長くお世話になりました。
重ねてのご挨拶ですが、購読させて頂いている方の記事にはこれからも足を運ばせて頂きますー!
これまで購読して頂いていた方、コメントを下さった方、ありがとうございました😊
学校という場所から改めて学んだこと(3)
そして最後の授業を迎えると、私にとって忘れられない出来事が起きました。卒業課題として最後にチームを作って制作をしたのですが、メンバーでオリジナル通販サイトを作ることになり、そのWEBサイトに私の絵を全面的に使おうということになったのです。
チームには【リーダー】、【サブリーダー】を担当する人もいたのですが、まずリーダーからメンバーへの役割分担がとても的確でした。そのひとは一企業としての通販サイトの見据え方も本当に素晴らしかったのですが、その人から開口一番で
「こWEBサイトはイラストも積極的に使いたいから、あなたはこのチームのイラストレーターを担当してね!」
と、復帰した当日から言われたのでした。
もう目が点のびっくりでした。そ、そんな大役を自分が・・・?と。
そしてそこからの時間がとにかくすごかった。
まず輸入食品や調味料のオススメを取り入れたサイトにしようとなったのですが、ミーティングではどんな世界観の通販サイトか、集客のターゲット層はどんなお客か、どんな新しい商品のアイデアがあるのか、メンバーみんなが「やりたいことを諦めずにトライする」熱意がはじけていて、ミーティング中ももどんどん新鮮なアイデアが生まれていきました。
その中で私は主ににロゴや背景、アイコン画像を制作しました。
個人制作の授業用にで用意していた桜とカラスアゲハのイラストや、今回のアイコン用に考えた新しい蝶の絵と、背景用にボタニカル風の線画を考えて、メンバー共通フォルダへ作品をアップロードすると、先生やメンバー皆が「いいね!」と言ってくれたり、サポートしてくれた別の先生も「もう手直しいらないので、このまま使おう」と話してくれて、この時はそれだけのクオリティを自分が持っていたことがまず嬉しかったです。
それだけじゃなく、自分の作品がサイトイメージにしっくり来ていたこともよかったです。
同じチームじゃないクラスメイトからも、かわいい、素敵ですねとか、癒されると言ってもらえて、正直そのたびに照れていました。
担任の先生からは「グッズに使えるような良いデザインですね。これはもう商品化できるイラストだと思う」と話してもらえて、それは後の自分にも大きな自信へと繋がりました。
とくにチームリーダーや隣の席だったチームメイトの人からは何度も作品を推してもらって。私にはもったいないほどのありがたさでした。
それほど良い印象を与える作品が作れるなんて、これまでも思ってもいませんでした。
その出来事で、それまでただ苦手を克服するためだった訓練校の授業が、急に方向転換したというか、自分が職業訓練を受ける意味や、訓練校でできることも全く変わってしまったので、とにかくやらなきゃ!と掻き立てられる数日間になりました。
それまでは自分の絵を「もし販売されるなら買いたい」と言われたり、自分の絵を商品化したり、将来につながる何かにできるということは、弱気な部分もあってとても考えられませんでした。
そんな私に大きな希望をくれたメンバーには、今でも感謝の気持ちが絶えません。
きっと就職へのスキルだけではなく、人に自分の作品を好きになってもらえることや、自分の作品を堂々と人へ提供する勇気とか、今の私にとても必要なものをこの時にもらったのだ思います。
特に今でも思い出すのは、
「ここを卒業したら、ぜひ作家業を考えてほしい。絶対に作品がほしい人はいる!」
「あなたの絵を好きになった人が、このクラスにだっているよ」
「就職はデザインに関係なかったとしても、諦めないでこの制作を続けてほしい」
と話してくれた人たちがいたことです。
私たちのチーム制作のWEBサイトは、品評会でもとてもいいお言葉を先生から頂きました。
コンテンツが輸入食品や調味料で高いニーズ性であることと、自身がそれぞれ担当したページもオリジナルにあふれ、独自性のあるいいサイトになりましたね、と。
あのミーティングの熱量がそのまま形にできたことが実感でき、メンバー皆で喜ぶことができました。
そしてこの熱は冷めぬまま、信じられないのですが、この翌日に卒業式を迎えました。
これまで授業をで取り組んでくださった先生方のお祝いの言葉と、卒業証書をもらった後で、この三カ月を終えた感想をクラスみんなで輪になって話しました。
いやあ・・・・・・・だめでした。泣きました(笑)
小中高の卒業式でも泣かなかったのに・・・。
こんなにいい仲間に恵まれると思ってもいなかったです。
クラスで一番覚えるのが遅い私に、辛抱強く見守ってくれたクラスメイトの人たち、弱気な私を力強く引っ張っていってくれた担任の先生、最後に私のやりたいことを存分やらせてくれたチーム制作のメンバー。
本当に思い出は尽きません。
就職は3週間たったいまでもまだできていませんが、Twitterで関わっている作家さんとの関係がほんの少し変わったり、個人的にグッズ販売は変わらず興味あるので、引き続き活動に活かすことができています。
私にとっては、それだけ大きな経験値です。
さて、最後になりますが
パソコンの入力も慣れてきたこともあり、今後はブログを移転することを具体的に考えています。
考えているのはnoteさんで、実はもうヘッダーまで編集終えているんですが、最初の記事をどうしようかなと考えているところです。今後noteさんで更新していくときは、あえて深く触れなかった通院のこと、作品の詳しいきっかけや意図、彫紙アートに対する説明など、それぞれコンテンツとしてしっかり書いていく予定です。
なので、ここのブログとは雰囲気がかなり変わることと思います。
リンク付けはなるべくしたいと考えているので、興味ある方は、ぜひ。
はてなブログさんとは、10年にわたる時間を利用させて頂きました。
決してまめな更新でもなかったですが、素敵な作家さんやブロガーさんを知ることもできたので、貴重な10年間でした。
購読させて頂いている方の記事はこれからも楽しみにしております。
それでは、次回の更新でお会いできますように。
学校という場所から改めて学んだこと(2)
こうして始まった三カ月は、これまでの自分の人生観を大きく変えてくれました。
が、冒頭で書いたように、授業はとにかく大変でした。
入校式をすませ、最初の授業の前にクラスの人たちと一人ずつ自己紹介をする機会がありました。
ほとんどの人がITやプログラミングにとても興味を持った人たちで(私にはITの言葉も初見でした・・・)、中にはサービス業界のバイヤーさんや、経理関係のお仕事を経験された方もいて、皆さんパソコンスキルだけでなく、職務経験の実績もしっかりしていた人たちでした。
そんな中に、仕事でパソコンを使わずに過ごしてきた自分が入学したのです・・・。
なので最初の一カ月は、エクセル・ワードの「基礎」と言われる授業だったのですが、皆さんが授業の理解とタイピング両方がそもそも早い中で、私は何度も簡単なパソコンの操作でつまずくだけでなく、エクセル・ワードそのものの理解と、教科書の読み進みを同時に覚えていかなければなりませんでした。
とにかくまずパソコンの画面を見ながら教科書も見て、瞬時に教科書の問題を把握しながらデータも頭の中で記憶して・・・それを慣れないタイピングで記録していくという状態でした。
今でも、授業初日のことが忘れられません。
皆が先生の指示通りに表作成や文書作成でタイピングをし終えると、一番タイピングの遅い私のキーボードを叩く音だけが教室に響きました。すべてがゼロスタートの私には当たり前の結果と頭ではわかっていても、先生だけでく沢山のクラスメイトの足を引っ張ることが目に見えていて、ただただ苦しかったです。
帰宅後は授業の復習に、タイピングの練習で毎日が多忙でしたが、その二週間後にはなんとか授業の流れにはついていけるようになりました。
何よりも少しずつパソコンに向き合う自分を好きになり、自然と授業にも素直に取り組めるようになりました。
二か月目になると、少しずつ授業のスピード感が変わってきました。GIMPという画像の編集やデジタルの絵描きにつながるソフトの授業に変わったのです。この授業でも人一倍早いというわけではなかったのですが、スタートから人並みに授業の流れについていけました。
自宅で少しずつ使っていたクリップスタジオと近い考え方ができることもあり、アイコンの意味や一つ一つの加工でどんな動作をするのかを学ぶのが楽しかったです。
それまで話したことのなかったクラスメイトからも、「このソフト覚えるのが早いね!もしかして絵を描くのが好きなの?」とだんだん話しかけてもらえるようになりました
レイヤーマスクやトレースを学ぶ授業では、これまで学んでいたデッサンの考え方を活かすことができ、少しずつ先生から技術の伸びをほめてもらうこともありました。
そして最後の三カ月目は駆け足ながらにWEBサイトの作り方を学習して、卒業前にはチームを組んでオリジナルのWEBサイトを作る一カ月になりました。HTML・CSSにワードプレス・・・今思えば一番濃厚な時間でした。
この授業では本当に進みが早かったことと、だんだん体の疲労も出てきた時期でした。
クラスの人も花粉症やいろいろな体調不良と向き合いながら過ごしていたように思います。
次いでこの頃は積極的な就職活動の勧めや、資格試験の推奨が学校であり、資格の受験にはかなり私も色々目移りしていました。
後ほど別の記事でお話したいのですが、この時は授業だけでなく私も心療内科の通院と重なったこともあり、授業・資格試験の勉強・就職活動・授業の予習復習のマルチタスクにもうパンク寸前でした。
今思えば、そんなに抱え込まなくてもよかったなあ・・・と思います。
案の定、もう少しでチーム制作という大事な手前で心がポッキリ折れたのでした。
そうなる前に、クラスメイトに弱音一つでも相談すればよかったな、と今でも思います。
結果、だれにも何も言えなかった私は数日学校を休み、何とか気持ちのリセットをしました。
休んでる間はとにかく「自分は何てできない人間なんだろう」とネガティブ一直線でした。
なにせゼロからのスタートだったので、とても自分が成長できてるようには思えなかったのです。
すべてが行き詰ったように思えた時、そもそもこの学校に行くと決心した瞬間の自分は何を考えていただろうと振り返りました。ここで出来ないと逃げたとしても、戻ってくるのは何もできない日常です。
その時に思い出したのは、新しいことを始めるとき____この学校に通い始めた時に、必ず決めていたことを思い出しました。
「できることを探して、まずはそこから始めよう」と。
復帰すると、チームで行うWEBサイトの制作の授業が始められていました。
それまでの流れを一度断ち切ってしまったのでとても不安でしたが、先生方のしっかりしたサポートのおかげでチームにはすぐ打ち解けられ、、少しずつ順調さを取り戻していきました。
――――――――――
次回に続きます。
学校という場所から改めて学んだこと(1)
こんにちは。
本日は夏のような暑さで驚いています。
梅雨の存在を飛ばしてもう海開きしてしまいそうな日照りです。
前回の記事で、少し自分の不調が出た話を書きました。
そのことも含めていくつかのことを今日は改めて書いていきたいと思います。
記事が飛び飛びだったので分かりづらかったのですが、私が「学校」と話して通っていたのは、三カ月間通う職業訓練校でした。
授業がとても速いスピードで、ついていくにも大変だったので、前回の記事では疲れが出てしまったんですね・・・。
結果から言うと、卒業は無事にできました。
そして最後に参加できた授業ではとてもいい思い出もできて、ほとんどの授業では思うような成績をだせませんでしたが、卒業をしたことで改めて、とても意義のある形を残せました。
ここからはかなり長くなりますが、この三カ月での出来事を伝えていきます。
そもそも職業訓練に通うと決めたきっかけは、すごく唐突でした。
昨年末で仕事を辞め、少しの間は絵を描いて過ごしていましたが、それも次第に手が止まってしまいました。
思う存分絵を描いていきながらも、じゃあ描いた絵をどうしたいか?という疑問がふつふつと湧いてきたんです。
変な話ですが、完成した作品をグッズにしたいとかDMを作りたいとか、そう思ってもパソコンの使い方が全くと言っていいほど分からないため、結果何もできなくて。
今は外注できる会社は沢山ありますが、すべていちいち頼んでいたらコストは無限だし、デザインは自分で決めたいし、何よりも描いた絵のデータ化、入稿の仕方までの仕組みがわからない自分に恥ずかしさもありました。
そう思うと、描いても描いても満たされなくなり・・・だんだんブルーな気持ちが深くなっていったころ、友人から
「今後の仕事を新しい世界で挑戦するなら、職業訓練を受けるのもオススメだよ」
と、言われたのが大きなきっかけでした。
オススメしてくれた彼女は、グラフィックデザイナーとして個人の活動をしていて、その独立前に職業訓練でWEB関連の授業を受けていたそうです。その経験から今の私に合いそうと考えてくれたようでした。
とはいえ、生活は大きく変えたかったものの、前述したように、パソコンの中身や仕組みからソフトの使い方も全く分からない自分にできることはあるのかな?と不安な気持ちのまま、翌週にはハローワークへいきました。
ハローワークにきて、かなり不慣れでオドオドしながら受付で「職業訓練を受けたくて、どんな内容のものがあるかを知りたい」と話すと、受付の女性が訓練校と授業内容が書かれた一覧のパンフレットをくれて、「よかったら少し話されていきますか?」と、親切にそのまま職員さんが対応してくれる窓口まで通してくれました。
その日からほとんどの来所で対応をしてくれた職員さんは特にとても話しやすく、この日も履歴書すら持っていなかった私に、丁寧にこれまでの職場環境や経験した業務のヒアリングをしてくれて、今後はどんなことをしたいかを聞いてくれました。
まだやりたいことがはっきりしていなかった私に、次は趣味や興味ある業種を聞いてくれました。
「絵を描くのがすきで・・・」
と話すと、優しく「いいですねえ」と笑いかけてくれる職員さん。
「興味・・・そういえば実は、ハンドメイドの通販サイトに興味があって・・・」
私がそう話すと、どことなく雰囲気が変わりました。
「ハンドメイド・・・作るほうですか?それとも企業にですか?」
と聞かれ、以前からミンネで作品の販売がしたかったことを思い出しました。
「作品の販売はしたいです。でも会社の仕組みにも興味があって。作家さんの売れ行き動向とか、作品の販売促進の形とか・・・」
そう話しながら、それまで憂鬱だった自分がそんな風に希望を感じていたことに、内心では正直驚きました。
すぐに職員さんはあるページを開いて
「それならここがよさそうですよ」
と教えてくれたのが、偶然にも友人と共通した「WEB関連」と言われる授業の学校でした。
WEB・・・絶対パソコンを使いこなす学校だよな・・・。
自分に入学なんてできるのかな?
と不安しかない私。職員さんからもパソコン技術レベルのチェックを受けましたが、初心者レベルの私をかなり心配されていました。
それでも当たって砕けろ精神というか、不思議とそのまま受講の申し込みをしようと決めることもできました。
できないからこそ、「できることを探して、まずはそこから始めよう」と、この時は素直に考えるられたのです。
緊張でいっぱいいっぱいになりながら受けた面接ではうまく話せなくて、「これはきっとご縁がないかな・・・」
と、すっかり油断していた私に、翌週の便で合格通知が届いたのでした。
――――――――――――
長くなりますので、次回に続きます。
光線と暗がりの間
⚠️注意
今回はかなりダークな内容が含まれます。
苦手な方はリターンをお願いします。
先日、学校の帰り道で突然不調をきたしてしまいました。
これまで必死に頑張ってきたことが突然キャパオーバーしてしまったのです。
単に課題が多かっただけでなく、心療内科の通院で検査を希望し、そこから見えてきたものが最後の隙間を溢れさせてしまったようでした。
検査結果は、まだ全ての項目が終わっていないので詳しくは書けませんが、それでも発達障害と呼ばれる名前の「何か」に該当するのは確実ということは結果が出ました。
まぁ、えっと
あれだけ学校で改めてわかったことがはっきりしていれば…自然な結果な訳で。
それでも複雑な気持ちは消えないです。
何か明確な診断名が出たとしても、私はそれに抵抗があるわけでも、隠すつもりも、福祉を利用する必要がでたとしても、それに対して自己評価をするつもりはありません。
そして、差別されることも全く耐えられないことではありません。難聴が顕著になったことで、それらしき空気は幾度か体験しているので、慣れてるというか。
映画で「5パーセントの奇跡」という作品があります。
幼い頃からホテル勤務を夢見る青年が、就職を目前に病で95%の視力を失います。
その彼が、盲目を隠してホテルで働くノンフィクションストーリーをコメディに脚色したものです。
すごく明るい話で、今でも大好きな作品です☺️
その主人公である彼が、盲目だと周りにバレないように懸命な努力をしていく様子が、恐縮ながら自分と重ねてみる部分がありました。
周りと違うなんて思われたくない。
そのため彼は周囲に見られないようにロビーの空間や料理、お酒の種類を唯一それを知る彼の友人と暗記していくのです。
私も、課題で人より遅い作業を帰宅後になん度も見直したりしていました。
それでも特定のサポートがないと次に進められないことが分かると、周りへの申し訳なさや、自分の体質がほとほと嫌になりました。
好きなことなら、絵を描くことなら、どんなことでも頑張ろうと思えるのに、
それは私自身の社会的な評価の中心にはなりません。少なくとも、今の私の評価には、です。
私が頑張れることも、頑張りたいと心から思うことも、それは形にはならないかもしれない。そう思うと辛く、気づいたら駅で茫然と数時間過ごしていました。
翌朝腫れ切った瞼を開けながら、無性に紙が切りたく、クラフトパンチでくり抜いた蝶を切っていました。(彫紙作品の前に練習としてよくやる作業です)
母を見送って3年になろうとしていますが、それからどんどん自分が違う人間になっていくようだなと思います。
発達障害が認知され始めている昨今、まだグレーゾーンと呼ばれる人たちは居場所を見つけられずに苦しんでいる人たちが沢山います。
診断名がもらえるなら、それはそれで幸運かと言われたら、分かりません。
今でも頭に焼き付いているのは、Twitter投稿で、発達障害を診断された後にバイク旅行でダムに身を投げた彼のことです。
会ったことも、話したこともない彼ですが、彼のような苦しみを無駄にしないためには、今も悩む人たちの痛みに蓋をしないためには、私が自分のことをまずきちんと受け止める必要があります。
それしかできません。
もう卒業できないかもしれないと思った学校も、最後一踏ん張りしてきます。
ついていけるかわからないけど…笑
今後のことはまだ真っ白です。
検査の有効性を医師ときちんと話し合い、自分がどうしたいかを考えていきます。
ただ、もしかして、時間の経過や治療次第では、詳しくどこかに書いてみようかという気持ちもあります。
そのことは、今後次第の形になります。
なんだか今日の曇り空のような、スッキリしない内容になりました。
明日は晴れるようなので、掃除して出掛けたいな。
読んで頂き、ありがとうございました🙏
広がる視界
新作の、オオスカシバさんできました。
タイトル:「啓蟄」
サイズ:B4
素材:アクリルガッシュ
遅筆でかなりの期間があきましたが、なんとか完成しました。
2年前、今より混沌とした日常を過ごしていて
そんなときに偶然オオスカシバさんの羽化について調べる機会があり、動画を見ていたら
土の下で蛹から出たオオスカシバさんが、懸命に懸命に体を動かし、地上へ這い出て
さらに高いところまで木をはい登り、羽についた鱗粉と体内の養分を出して飛び立つシーンを見ていたら、止めどなく涙が出てきました。
きっと、沢山の人が大変な思いをした3年間だったと思います。
それぞれの人が、暗い土から外へ羽ばたけるような、そんな新しい春を夢みて描きました。
実物より写真の色味が重くなってしまうのがとても悔やまれます…。
花は我が家で育てていたプリムラ。
よく新芽や蕾を出してくれましたが、さすがに翌年には持ち越せませんでした。
可愛いかった。
またお花育てたい。
さて。
がっつり学校の課題で忙しい日々ですが。
こんなタイミングでアイデアが止まらないモードになってしまいました。
いや、課題がアイデア出しの訓練してるからある意味自然なんだけど…
波が激しい私の創作意欲なので、今この瞬間を楽しんでいきたいと思います。
少し前からマチエル やテクスチャーにも新しい興味が出てきて、今後はそちらの楽しみも増えたらいいなぁ…!と考えています。
あまり流行には乗らないしどちらかと言えば疎いのですが、最近壁の補修に使っていた漆喰が面白くて作品に取り入れ初めています。
いいですね漆喰。手触りといい盛り上げの立体感といい、めちゃくちゃハマりそうです。
ミニ作品で何かできないかなって、小さめのパネルいっぱい買っちゃいました。
ここのところカリキュラムのペースが早いのと情報量が多いのとで心身ともに参ってしまったのですが、だいぶ復活してきました。
今しかできないこと、悩めないこと、たくさんあるので
引き続き頑張っていきます…!
子供の頃から今も、の話
こんにちは。
新作が滞っているため、過去のラフ画ちょっとだけチラリ。
久しぶりにちょっとお休みが入りました。
ずっと頭にいろんな勉強したものを詰め込んでたので、一気に脱力させてもらっています。笑
今日はなんていうか
あまり目的なく(それはいつもか)
ちょっと思うところがあったので、描いてみます。
今の学校で、ほんの短い期間ですが画像を編集するソフトを勉強しています。
それに伴い、日常で使える簡単なエクセルやパソコンに関する計算をならっていたのです。
それで、今更気づいたのですが
私ほんっとに、計算ができなくて。
子供の頃からそうで、小学校の算数ドリルとか、提出できた記憶がないんです。
何なら時計の読み方もわからず、小学校に上がってしばらくは時計が読めないので時間を守れずに親を困らせてました。ならばと私様にデジタル時計を家に置きましたが、秒単位が入るとそれはそれで並んだ数字に混乱してました…
家の電話番号が覚えられなかったので、迷子になってほしくない親は私に、言葉で番号を伝えて覚えさせてたくらいでした。数字を漢字ひらなな同様の「字」として認識できなかった感じです。
それでも何とか足し算引き算、九九は乗り換えるものの、中学からは完全にもうアウトでした。
展開や因数分解、証明、ルート、サインコサインで何もできませんでした。
なのでアルバイトのコンビニで働き始めたときも、自動レジではなかった時代で暗算をする商品があったときは大変でした。
それでもそれは自分の能力が低いと思って他でカバーしてきました。
ところが今回の学校で、いくつか計算を覚える授業をやってみて
あることに気づいたんです。
数字が沢山あると動いて見えることに。
なので長い計算式になると、動く数字が気になって全く内容が入らないです。これ、共感できる人いますか?
あとは大きさもバラバラに見えたり。一列に並んでる数字でも全然大きさや実感が違う。
平仮名漢字には全くない感覚です。
よくネットでログイン認証で見かけるぐにゃっとした数列がありますが、あれによく似た感じが日常的になってます。
気づいてから計算の授業はほんと苦しかったです。なんとか通り抜けて今はソフトの授業メインで、むしろそっちは教科書みながらなら自習でも自分でできるくらい慣れてきたので、少しほっとしています。
それでもわかったことは、他業種から同じクラスにきた人たちと並んでると
明らかに自分は講師の手厚い説明やサポートがないと簡単なことがわからなかったりします。
これ、難しい説明なんですけど自分を卑下してるわけではなく本当に何の意味かわからないんです…🥺
(ちなみに割り算できたといっても現在は分数がわからないです。子供の頃に意味がわからないのを無理矢理覚えたせいか今も全然ダメです)
勉強すればよいのでは?と、できないなりに学生時代は自分なりに時間も設けましたが
ぐにゃっと並ぶ数字やバラバラの大きさに見える数字をずっと見続けることができずに諦めてしまいました。
これ、当時にこうして言語化できてたら何か違ってたのかな…
自分でも自分の見え方が信じられなくて、どこか矛盾しているようにも思います。
目が悪いだけかもと思い、クラスに同じように視力が悪い友人に聞くと、その人にはちゃんと同じ大きさの数字がまっすぐに並んでいる、と…(それはそうだと言われてしまえば終了ですが。)
ちょっとこれは
次回のカウンセリングで相談しようかなと。
この先新しい仕事につくのには不利すぎる気がします(´・_・`)
コンビニも、沢山タバコがあったりして
あの什器に一つ一つ書かれたは数字もきつかったな…見えないし認識できなくて
お客様の注文は銘柄のほうがすぐわかるというレアなパターンでした。
同じ人がいたらどうしてるか聞きたいです。
レシピのグラム表記とかつらい。
テレビに出てくるテロップに数字入ると目が痛い。
電車の時刻で電子掲示板ができたきたときにはチカチカする数字(時刻)をさらにチカチカさせたり動かして表示するから痛すぎて見ないようにしてました。
さすがにそこまでは今はひどくないですが…
引き続き、自分なりに対策を練りたいと思います。
それにしても不思議です……(´・_・`)